城彰二が提言「森保ジャパン」が強くなる方法 W杯後の日本代表に必要な個と組織力の強化

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今年のロシアワールドカップや、森保監督体制のサッカー日本代表について語った城彰二(撮影:梅谷秀司)

ロシアワールドカップ本番2カ月前のヴァイッド・ハリルホジッチ監督(現フランス1部・ナント監督)更迭と西野朗監督の就任、本大会でのベスト16進出、森保一監督体制への移行、そして新世代の台頭……。

2018年のサッカー日本代表を取り巻く環境は目まぐるしく変化した。

その変遷を、1998年フランスワールドカップ経験者の城彰二は解説者として間近で見て、選手やスタッフの話に耳を傾けてきた。(前編記事:「エースの重圧」に負けた城彰二、W杯の苦い記憶)

「この1年を振り返って思うのは、やはりハリルさんから西野さんへの監督交代が大きかったということ。ハリル監督のときは練習を見に行っても、『このマネジメントの仕方ではきついだろう』と感じていたし、選手数人からもそういう話を聞いていました。

『不満があるなら監督に言えばいい』とアドバイスしたけど、彼らは代表から外されたくないから口を開かない。そんな重苦しい空気を日本サッカー協会が察知して、田嶋幸三会長の決断に至ったんだと思います」とかつての代表FWは後輩たちの心情をおもんぱかった。

彼がそんな話をするのも、自身の苦い経験を踏まえてのこと。1998年フランス大会で「エースFW」に指名されながら結果を出せず、不完全燃焼に終わった城にとって、2002年日韓ワールドカップは「借りを返す場」となるはずだった。

しかし、当時の指揮官であるフランス人のフィリップ・トルシエ監督との確執によって、代表から外されるという屈辱を味わったのだ。

トルシエとハリル、両氏の共通点を感じた城

「当時のトルシエは日本人を軽視するような発言が目立ちました。『Jリーガーだからダメなんだ』といったことを言われて、選手たちはすごいフラストレーションが溜まっていました。みんながトルシエへの不満を熱く語るんだけど、誰も本人に言わない。

『だったら俺が行く』と自分がトルシエのところに行き、通訳を介して面と向かって話し合ったんです。向こうも熱くなってワーッとまくし立て、最終的には取っ組み合いのケンカにまで発展した(苦笑)。

それが2001年3月のフランス戦(サンドニ)に0-5の惨敗を喫した直後。その後、協会から『もう一切、代表に呼ばない』と通告を受け、僕は代表辞退することになりました。数年後にトルシエとは和解したんですが、あの頃のトルシエとハリルさんが自分には重なって見えた。だから正直、難しいんじゃないかなと感じたんです」と城はしみじみ語る。

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