上に立つ者が胸に刻むべき「16文字」の漢字 実績や報酬は国民や社員の汗の賜物である
上記のとおり、君主が配下の官吏・役人を戒めるために作ったというのが「戒石銘」の由来である。だが、この戒めが官吏・役人たちに効果を発揮するためには、ある重要な条件が整わなければならない。その条件とは、君主自らが「戒石銘」の4句16文字を最も堅く守るということだ。
人は上を見て、その行いに倣う。下位の役人たちは上位の役人を見て、上位の役人たちはその上の宮廷を見て、宮廷の高官たちは君主の振る舞いを見て、その身を糺(ただ)す。トップに「戒石銘」の心がけがなくて、どうして配下の役人たちの行動が改まるだろうか。「戒石銘」を官吏に示し、州県に頒布した大宗・高宗は、いわば自らに戒めを課したことにほかならない。4句16文字は、自身に突き付けられた刃である。
国であれ、企業であれ、組織のトップに立つ者は「戒石銘」をそう解釈すべきだ。いかなる政治体制であれ、どんな組織の会社であれ、トップを支えているのは、紛れもなくその国民であり、社員である。国も会社も、トップにある者は、その地位や権力が国民や社員の支持の上に立っていることを肝に銘じておかねばならぬし、その実績や報酬が、実は国民や社員の汗の賜物であることを胸に刻むべきである。
一身の権力だけを求めて地位にしがみつき、国民を忘れた一国のリーダーや、社員を忘れ、己の私利のみを追求する経営者は、いずれも天がこれを許さない。手柄はすべて己一身に帰すべきものと考え、世界を股にかけて私利を貪り、私欲のほしいままに権力を行使すれば、やがてその身を亡ぼすことになる。
自分ファーストでは、率いる組織集団の規模、性格とは無関係にリーダーとして失格である。民を第一に考えることはリーダーの基本であり、最も重要なリーダーの条件だ。
民を苦しめて永らえた国はない
悪政とは、古来為政者が民の膏血(こうけつ)を絞り、享楽(きょうらく)を貪ることである。民を苦しめて永らえた国はない。民に支えられている為政者が民を虐げ、ないがしろにしていれば必ず、その国は崩壊する。
政治制度が民主制であろうと、君主制であろうと、独裁制であろうと、この理(ことわり)が揺らぐことはない。それは歴史が示すところだ。「戒石銘」の一節を借りれば、天は欺けないということだが、天の慧眼(けいがん)はやがて民をして覚醒(かくせい)させる。天を欺けないということは、民も、また欺きがたいのだ。
覚醒した民は、自分たちが不当に扱われていることに気づき、為政者に対し不服の意を示し、後に敵対する。民を敵として、持ちこたえられる権力はこの地上に存在しない。これも歴史が証明している。下民は虐げやすい。しかし、権力者が最も恐れるべき存在も、また民なのである。
現在、習近平は中国国民に人気がある。反腐敗運動も、一帯一路政策も、国民から一定の支持を得ている。インターネットの規制は不評だが、その不満は主に監視当局に向かっている。格差はあるものの、経済成長によって段階的に生活が豊かになっている間は、習近平が国民の敵となることはないだろう。経済成長は習近平と中国共産党にとって、最優先すべき重要課題である。
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