翻訳者が語る「ハリポタ・ファンタビ」の魅力 松岡佑子氏が見続けた魔法ワールドの奥深さ

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――映画版はどうご覧になっていましたか。

「ハリー・ポッター」の映画は、まずほかの翻訳者が訳した字幕と吹替えを、私が監修しました。本に使った特殊な用語と齟齬(そご)が生じないよう、さらに全体に誤解が生まれないように気をつけて監修していました。

映画作品はどれも原作に忠実だと思いました。でも、原作に忠実だということは、相当割愛しないといけないということでもあります。あれだけの長い物語を2時間かそこらの映画に入れ込むのは無理ですし、映画の魅力はやはりアクションですから。心理描写とかそういうことは役者さんの表情でやるほかない。物語の場合は、「のめりこんで自分で想像しながら見る」、映像の場合は、「映像に引き込まれて、吸い込まれて、その世界の中で遊ぶ」という意味で違った楽しみ方ができると思います。

ハリー・ポッターと出会えたのは“魔法”のおかげ

――第1巻の発売当時はローリングさんも無名でしたし、松岡さんの静山社も小さな出版社だったそうですが。運命的な出会いがあって、ここまでやってきたのだと思います。そうした出会いはどんなアンテナを張っていればつかむことができるのでしょうか。

出会いの機会はたくさんあると思います。毎日、何百、何千という出会いをしている中でピンと引っかかるものがあるのは、こっちに受け入れる素地というか、自分に求める素地があるからだと思うんですね。

当時、前の主人が肺がんで亡くなって、出版社を引き継ぎました。しかし、どうしていいかわからない。何か出版しなきゃいけない。でも何を出版したらいいのだろうか?と、作品を探し求めていたときに、仲のいいアメリカ人の友だちが『ハリー・ポッターと賢者の石』を見せてくれたんです。

イギリス版の最初の表紙は簡素なものだったので、最初は「こんな本が売れるかな?」と思いながら読みましたが、読んでみたら「ビビビ」っときた。そして「今度その著者にぜひ会わせてくれ」と言って、ローリングさんと会った。その時、お互い非常に響き合うものを感じたというのは確かです。

「求めよ、さらば与えられん」ですね。求める気持ちがなければ、どんな出会いも出会いになりません。私はそう思います。

公開初日からの3日間で早くも動員100万人を突破。この冬の大ヒット作のひとつとなっている
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Harry Potter and Fantastic Beasts Publishing Rights ©J.K.R.

――仕事をしたいという思い、情熱のようなものが重要だと。

ええ。「ハリー・ポッター」では、「何かいい本がほしい」というときに出会ったものがたまたま琴線に響いたわけです。運命的な幸運もあるでしょう。ほかの本を紹介されていたら、そういうふうには思わなかったかもしれない。

たまたまそのときは、イギリスでそこそこ知れ渡っていて、アメリカに版権が売れたくらいの時期だったので、日本の出版社もこんな本があることをよく知らなかった。日本で発売したのは1999年の12月でしたが、出す直前まで日本では誰も騒いでいませんでした。ローリングさんがまだ無名の作家で、しかも処女作であったということもラッキーでした。出会えたのはたぶん魔法だったのではないかと思っています(笑)。ちょうど夫が亡くなって1年目で出会い、2年目で出版しました。だから天国の夫が贈り物をしてくれたと、いつもそう感じています。

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