日本人はいつから「雑音恐怖症」になったのか 「私語」は決して生産性の敵ではない

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筆者も以前勤めていたPR会社が移転して、オープンスペースのフロアになった経験があるが、部署ごとに部屋が分かれていたときのほうが、部内では話しやすかった印象がある。空間が広がったからといって、部署を超えたコミュニケーションが活発になった感じもなく、むしろ、どこまでが同じ部なのかがわからなくなり、部内の結束まで弱まった感じがした。

つねに人に見られ、プライバシーのない状態が、社員にストレスを与えると同時に、コミュニケーションを促進するどころか、阻害している。これは、皮肉なことだが、日本の「孤独」の構造と非常に似通ったところがある。日本の社会や会社という抑圧的で、同調的・衆人環視な環境に身を置くと、ストレスを感じ、人とのかかわりそのものから逃れたいと感じる。

「個」としてのプライバシーが確立されていれば、自発的につながりを作ることに喜びを感じ、「個」と「集団」の時間の上手なバランスをとろうとするが、つねに「個」のない状態に置かれると、「集団」そのものから逃れたいという意識が先に立ち、結果的に、孤立しやすい。個の自立、つまり、「個独」がない状態に置かれるほど、「孤独」になりやすいということだ。

希薄になりがちな人間関係

そもそも、日本では「私語」が生産性の敵のように考えられているような印象があるが、何げない会話が実は、創造性の源泉、という考え方もある。ミシガン大学の研究では、10分の和やかでフレンドリーな会話は脳を活性化し、集中力や決断力、問題解決力を高める結果になったという。反対に、お互いの優位性を競い合うような内容の会話には何の効果もなかった。

日本では職場のおしゃべりを不快に思う人も多いようで、ネット上でもそういった不満の声が多い。確かに、始終おしゃべりばかりしている社員を不愉快に感じることはあるだろう。しかし、単なるおしゃべりが、職場によっては、「ブレスト」にもなりうるわけで、多分野の知見が入り混じることで新しいイノベーションも生まれる。人とのちょっとしたおしゃべりの中で、ビジネスのヒントを得ることも多い。

日本の職場では、言葉のやり取りがセクハラ、パワハラととられかねないと、コミュニケーション恐怖症になっているきらいもあり、「飲みにケーション」もままならず、職場の人間関係も希薄になりがちだ。人に不快を与える「私語」は控えるべきだが、職場に空気を通すための「会話」は必要だろう。

結局は、何事も過ぎたるは猶及ばざるが如し。ゼロか1ということではなく、バランスなのだろうが、日本において、「雑音」や「異音」に対する寛容性は明らかに低下している。その一方で、外国人労働者受け入れ、訪日外国人観光客の増加、職場のグローバル化など、急速に日本も「多様性」を帯びつつあり、「価値観の多様化と対立」の時代に、もはや万人が納得する「絶対解」などない。

「異質」なものを見せつけられ、聞かされる日常にざわざわし、怒りを蓄積していくのか、「誰もが違う価値観を持っているもの」と受け入れていくのか、そのせめぎ合いになっていくであろう。人や自分と折り合うことで最適解を求め続けていくしかないということだ。

岡本 純子 コミュニケーション戦略研究家・コミュ力伝道師

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おかもと じゅんこ / Junko Okamoto

「伝説の家庭教師」と呼ばれるエグゼクティブ・スピーチコーチ&コミュニケーション・ストラテジスト。株式会社グローコム代表取締役社長。早稲田大学政経学部卒業。英ケンブリッジ大学国際関係学修士。米MIT比較メディア学元客員研究員。日本を代表する大企業や外資系のリーダー、官僚・政治家など、「トップエリートを対象としたプレゼン・スピーチ等のプライベートコーチング」に携わる。その「劇的な話し方の改善ぶり」と実績から「伝説の家庭教師」と呼ばれる。2022年、次世代リーダーのコミュ力養成を目的とした「世界最高の話し方の学校」を開校。その飛躍的な効果が話題を呼び、早くも「行列のできる学校」となっている。

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