インテリが、吉本隆明を恐れた理由
竹内:私より少し上の世代の大学教師で、社会学者を定年までやった後、「もういっさい社会学の本はいらない」と言って売ってしまった人がいます。そして最近は、時代小説ばかりを読んでいるそうです。私からすると、「今まで勉強してきた社会学というのは、その人にとって何だったのかな」と感じるわけですが、日本回帰の大衆インテリ版ですね。
山折:そういう問題に敏感に気がついて、批判し続けたのが、吉本隆明です。彼は、伝統的なリズムというか、短歌的な抒情の問題まで含めた詩の世界をつまみ出して、「大衆の原像」という概念に到達し、それを提唱しました。
竹内:吉本は、動員戦略にたけています。昭和30年代以降は、インテリと大衆の境がはっきりしなくなって、成り上がりインテリみたいな人が多くなった時代です。当時のインテリは、親が大学を出ていない世代だったので、大衆コンプレックスがあった。そういう逃亡奴隷的上昇インテリのコンプレックスを払拭させる「大衆の原像」を呈示しました。
私も「大衆の原像」を読んだ世代ですが、あれは非常に訴求力があるというか、心にストンと落ちるものであったことは確かです。
山折:吉本は「自立、自立」と言っています。「人間が自立する、思想が自立するということは、教養の根底をしっかり自覚し、そこを出発点にするということだ」と彼は呼びかけたわけです。
ある日本の国際賞がありまして、私は一時期、人文社会系の審査委員をしていました。この賞は、全世界から候補者を募るわけですが、その中に、毎回、吉本隆明の名前が出ていました。
受賞者を決める最後の議論のときに、私は吉本支持で一席弁じたものです。これこそ西洋の借り物ではない日本の知識人の思想ではないかと。しかし、全然ダメでした。東京、京都のアカデミズムの人々は完全無視でした。しかし、昨年、吉本が亡くなると、メディアもアカデミズムも吉本への賛美ばかり。それを見て、どこに自立の精神があるのかと思いましたね。
竹内:おそらくその人たちは、吉本が、アカデミズム知識人が隠蔽しているものを仮借なく暴くから、本当に嫌だったのでしょう。その意味で、吉本の思想は、アカデミズム知識人のアイデンティティと自明にしているものを根底から崩させるような、それだけ鋭い刃だったのだと思います。だから、彼らは吉本をはねつけたのでしょうね。
「思想家というには、あまりにやせこけた、筋ばかりの人間の像がたっている。学者というには、あまりに生々しい問題意識をつらぬいている人間の像がたっている。かれは思想家でもなければ、政治思想史の学者でもない。この奇異な存在は、いったい何ものか?」で始まる丸山論なんかがそうです。
※ 対談の続きは、12月10日(火)に掲載します
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