山折:歌舞伎、浮世絵の世界にのめり込んでいくわけですよね。
竹内:そうです。それから有名な知識人でなくても、たとえば私が専門とする社会学の領域でもそういう人がいます。
そもそも社会学は、アメリカや西欧の学説史研究が中心で、日本的なのものとは遠い。しかし、社会学者としてかなり業績を上げて外国の社会学を紹介してきた人が、晩年になると、仏教社会学や仏教学に取り組んだりしています。
山折:もうひとり付け加えると、南原繁もそうですね。南原は、戦後の日本の知識人では最高峰といえる人です。
南原は晩年になって歌集を出版しています。岩波文庫に入っている『形相』という本です。その本の編纂者である、愛弟子の丸山眞男と福田歓一が「先生のお仕事の中で、いちばん後世に残る作品は何だとお考えになりますか?」と質問していますが、南原は『形相』と答えています。政治学者として多大な実績を残し、岩波書店から全集まで出している南原が、「後世に残るなら歌集」と言っているわけです。
ほかに戦前で言うと、マルクス主義者の河上肇も歌集を出しています。こうした例を考えると、どうも短歌の世界というのは、日本人の生命観の基礎をなしているように思えます。それなのに、日本人自身が短歌の世界を必ずしも教養と認めていないところがある。
しかし私は短歌の世界こそが、教養の基礎ではないかと思い直しているのです。単なる「日本回帰」ではなくて、日本人、あるいは、日本近代の教養の基礎は、短歌的リズムだったのではないかという解釈です。
竹内:それは、若いときはあまり気づかず、いろいろ遍歴してそこにたどり着くということでしょうか。
山折:人間としての成熟と共に自覚されていく、というふうにみることも可能です。
日本の明治以降の近代教育は、まず西洋の学問、西洋の教養を身に付けるところから始まっています。自分たちが生まれ育った文化的土壌、教養を生み出しているはずの文化的土壌を否定まではしなくても、それをいったんカッコに入れて、棚に上げて、まずヨーロッパから学ぼうという姿勢です。それこそが日本的教養の革新だと誤認し始める。成熟するにしたがって、その事実にハッと気づくという解釈です。
竹内:それは成熟でしょうか、それともコンバージョンというか、ある種の回心でしょうか?
山折:改心という解釈ではないでしょうね。改心ならば、それまで自分の人格なり生き方を支えてきた西洋的教養、つまりリベラルアーツに対してもっと批判的な総括をするでしょうから。しかし、日本の知識人はそういうことをしませんね。
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