大衆幻想によって日本は動かされている--『革新幻想の戦後史』を書いた竹内洋氏(関西大学教授、京都大学名誉教授)に聞く
テレビ知識人が跋扈(ばっこ)して、「時代の気分」を誘導している。かつての革新幻想と似た形の「大衆幻想」によって、たきつけられ、あおられていないか。この「空気支配」が日本社会の問題性と著者は言う。
──日本は空気支配の国ですか。
この傾向は戦前、戦後、そして現在に至るまで、イデオロギーは変われども連綿と続いている。
今や左右の対立ではなく、皆が大衆幻想によって動かされている。この本で取り上げた進歩的文化人の現代的な姿がテレビのコメンテーターやキャスター。いわばテレビ知識人だ。革新が幻想だったように、知識人の相手とする大衆も幻想ではないか。どこに大衆はいるのか。
──タイトルにもある革新幻想とは。
戦後史を描いてみようとすると、社会史の解き口になるのは「進歩的」思想と、それをたきつけた雰囲気や背後感情。それで描くとリアリティのある実像を見せることができる。
私自身の学生生活は、大学紛争といつもワンテンポずれている。60年安保の翌年に大学に入り、大学院入りは1968年で、その間会社員をしていたので、全共闘とは距離のある人といってよい扱いだった。私自身は、家庭内暴力のようにキャンパスという安全地帯でやっている、と客観視していた。
当時もキャンパスは、空気に動かされていた。「進歩的」思想以外を口にすると、アホか、あるいは右翼と蔑視される。しかも、革新幻想自体も何か空気に動かされる。それこそ『「空気の」研究』を書いた山本七平ではないが、同調主義なのか、キャンパスはそれ一色に染まっていて、左翼的でなければ何事でも相手にしてもらえない。