〇〇歳で始めるのは遅いと諦める人の言い訳 発揮できる場所を探し続けた人に才能は宿る

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しかしこれは、僕に言わせれば、まったく、逆。才能を発揮する場所って、そんなに少ないものでしょうか? 自分の中にある"すべての尖り"を、一つひとつ丁寧に磨いていったら、その分だけ、選べる仕事や職業ができるはず。選択肢を増やすのは、自分自身なのです。

「席」は、今あるものだけではない。新しく作り出すこともできるのです。そもそも「仕事を選ぶ」のではなく、「仕事を創る」ことが、これからの"人生百年時代""AIやロボットの時代"に求められることです。

もし、あなたが自分の能力の"尖り"を見つけつつあるのであれば、わざわざ抑え込んで、それを丸くすることに意味なんてありません。どんどん尖らせることです。

ちなみに、自分が尖っていないところは、"そこ"が尖っている別の人が補ってくれるものなので、まんべんなくバランスよく尖ろうとする必要はありません。それよりも、尖った人と尖った人が出会って、その尖った部分と尖った部分が刺激し合って、新しいアイデアが生まれることのほうが、大きい成果が生まれます。

それに、摩擦が起きることで、自分も相手もさらに尖っていくものです。尖りのない、丸い人たちばかりの集まりには摩擦がなく、そこからエキサイティングなものは何も生まれません。

高校時代、ニュージーランドに留学していたとき、世界各地の「いちばん美しい」といわれている音楽を聴く授業がありました。

そこで僕が感じたことは、「国や文化や歴史や背景が変わるだけで、美しさの定義ってこんなに変わるんだ」ということでした。

「才能」もこれと同じだと思うのです。あなたが持っている能力は、ある人からは「そんな能力には意味がない」と言われているかもしれない。でも、それは、別の人からしたら絶賛に値するものかもしれない。

特定の人の評価だけを頼りにしてしまったり、ある一面を見ただけで信じてしまったりすると、能力や才能を正当に評価できなくなってしまいます。

アインシュタインは言っています。

「誰もが天才だ。しかし、魚の能力を木登りで測ったら、魚は一生、自分はダメだと信じて生きることになるだろう」

才能は本質的に「自分の中」にしかない

塾をやっていると、生徒さんから「塾をやめたい」と言われることがたびたびあります。

そんなときに「やめたい理由」を聞いてみると、ほとんどの場合、その理由を「人のせい」「環境のせい」にしている。いちばん多いのは「部活が忙しい」というものです。

しかし実は、「自分が成長している」ということが実感できないから、やめたくなるのです。

これはつまり、自分が成長していることが実感できていれば、必ず続けられるということ。「人のせい=他責」にしたとき、つまり「自分のせいじゃない」と言ってしまった瞬間に、才能の芽はたちまち枯れ果ててしまいます。

才能は、本質的に自分の中にあるもの。いえ"自分の中にしかないもの"。

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