党首選断念、「メルケルなきEU」はどこへ行く 経済が絶好調でも「理想主義」はウケなかった
10月30日、ドイツのアンゲラ・メルケル首相は記者会見を開き、自身が18年率いてきたCDU(与党・キリスト教民主同盟)の党首を退任する考えを表明した。一方、ドイツ首相の座には2021年の任期切れまでとどまり、その後、政界を引退する意向を示している。
首相留任は現時点での意向であり、現実的な話ではないだろう。少なくとも2021年の総選挙の顔が「メルケル」であってはならないというのがCDUの強い総意のはずであり、そのためにあと3年かけて体制を整えるという算段である。メルケル首相はその間の「つなぎ」であり、レームダック化は必至である。ポスト・メルケルに関しては、現時点では有力な情報はなく、まずは12月の党大会をにらんで続報を待つ段階にある。
2005年にドイツ首相の座に就いたメルケル首相の歴史は、そのままEU(欧州連合)の経験したバブルとその破裂、欧州債務危機(そしてその後始末)の歴史と重なる。もっと言えば、メルケル首相がCDU党首に就任したのは2000年4月であるから、メルケルCDU党首の歴史は1999年1月からスタートした共通通貨ユーロの歴史ともほぼ重なる。名実共にEUの礎を築いた政治家の1人だろう。
なお、仮に宣言どおり、2021年まで職務を全うすればメルケル首相は「東西ドイツ統一の父」ないし「欧州統合の機関車」とも称され、何よりメルケル首相を表舞台に抜擢したヘルムート・コール元首相が持つ16年間という戦後最長の在任記録に並ぶところだったのだが、どうやらこれは、かないそうにない。
緑の党と極右政党のAfDが躍進
今回の決断はバイエルン州、ヘッセン州と州議会選挙で2連敗、しかもいずれも大敗を喫したことの引責という形だが、この流れ自体は1年前の総選挙敗北から始まっていたものでもある。バイエルン州議会選挙の大敗は姉妹政党であるCSU(キリスト教社会同盟)のもので、同党党首のホルスト・ゼーホーファー氏はダメージを抑制すべく必死にメルケル首相との距離感をアピールしたのだが、被弾を免れなかったという経緯がある。
それだけ「反メルケル」の世論が根強いことが実証された選挙でもあった。ヘッセン州での敗北は首相自身の率いるCDUの敗北であるため、より直接的な打撃になったと考えられる。これをCDUとして放置する選択肢があるはずもなかった。
ちなみに他の政党はどうだったか。国政でCDUと大連立政権を組む左派系のSPD(ドイツ社会民主党)も歴史的な大敗を喫しており、その凋落はCDUよりもひどい。片や、ヘッセン州でCDUと連立を組む「緑の党」は得票率を前回の約2倍となる19.5%にして躍進し、極右政党「ドイツのための選択肢(AfD)」も前回の約3倍の得票率を得て初めて州議会入りを果たすことになっている。バイエルン州もヘッセン州も「2大政党の大敗」と「緑の党、極右政党の大勝」という構図は共通している。いずれにせよ「メルケルなきEU」という新しい時代が幕を開けようとしている。
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