一刻も早く家族から離れたかった恵子さんは高校卒業と同時に上京し、大学に入った。実家からの支援は期待できず、奨学金とアルバイト代だけで学費と生活費をまかなった。卒業後も都内の会社に就職し、ずっと1人暮らしを続けていた。
「小さい頃から、1人きりで生きていくしかないと覚悟していました。母のようになりたくありません。結婚は嫌だなと思っていました」
結婚願望はなかったが恋愛はした。25歳のときに酒場で知り合い、映画の話などで盛り上がり、長く付き合った人がいる。10歳上でバツイチの俊介さん(仮名)だ。
「今考えると、感情のコントロールができなくて子どもっぽいところが父親と似ていました。純粋で優しい人なのですが、怒るとめちゃくちゃになってしまうんです。同棲していたのに出ていったまましばらく帰ってこないこともありました」
5年後に俊介さんのほうから別れを切り出した。恵子さんが彼を受け止めきれないことが伝わったのだろう。
気分転換に通っていた居酒屋で夫と出会いました
母親がアルコール依存とうつ病からの絶食で倒れた、と実家から知らせを受けたのは3年前のことだ。以前は「あんな人は早く死んでしまえばいい」とまで思っていたが、いざ倒れるとその人生が不憫で仕方なくなった。恵子さんは献身的な看病をした。
「会社員を続けながらだったので、一時期はほとんど寝る時間がありませんでした。そのときに気分転換で通っていた飲み屋で知り合ったのが今の夫です」
恵子さんによれば、その飲み屋は気持ちのいい人ばかりが集まる店だ。愚痴っぽい話ではなく、明るい冗談を言い合う雰囲気。恵子さんもつらい近況を明かしたりはせず、楽しいお酒を飲んでいた。
後に夫になる幸司さん(仮名、35歳)も実は大変な状況だった。上司の不正を自分のせいにされて会社を退職することになり、失業中だったのだ。恵子さんと同じく、幸司さんも何も明かさずに笑って飲んでいた。
ある夜、恵子さんは家に帰りたくなくなり、深夜3時頃までその飲み屋にいた末に「私はもう1軒行く」と宣言。心配した幸司さんが「付き合うよ」と言って朝まで一緒にいてくれた。
「初めて自分の状況を話して、泣いてしまいました。彼は『大丈夫か?』と言うだけで静かに聞いてくれたんです。何度か一緒に飲んでいるうちに、私は彼のことが好きになっていたんだと思います」
その頃、実家の父親はますますおかしくなっていた。憎み合っていたはずの母親とは共依存の関係にあり、彼女が倒れて急に不安になり、恵子さんにも実家に戻ってきてほしいと要求し始めたのだ。
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