「実家から逃げるための結婚」の意外なその後 36歳女性、共依存の両親に翻弄されて…

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「2人の兄は体調を壊して実家暮らしでした。そこに私が戻ったら、誰が外で稼いで母の病院の手続きなどをするのでしょうか。父は一家心中をしたかったのかもしれませんが、私は嫌です。なんとか実家に帰らないですむ方法を考えたとき、頭に浮かんだのが幸司さんと結婚することでした」

当時、恵子さんはすでに30歳を超えていて、東京で自立して暮らしている。父親の無理な要求など断ってしまえばいいと思う。しかし、ずっとモラハラを受けてきた身としては「大きな理由がないと断れない」という発想になるのだろう。そのために急いで結婚するのはややリスクが高い気がするが、幸運にも幸司さんは賢くて愛情深い男性だった。

「私が事情を話して『とりあえず結婚しない?』と言ったら、彼は『おっ、おお!』と答えてくれました(笑)。付き合ってわずか4カ月後のことでした」

すでに転職を果たし、医療関係の会社で働き始めていた幸司さん。数年前に大失恋をしてからは結婚をあきらめていたという。降って湧いたような恵子さんとの恋愛と結婚。共同生活をしてみると、そんな幸司さんは自分にとって理想的な結婚相手だと恵子さんは気づいた。

「彼は中学生時代に大病をして学校に行けない時期が長く続いたそうです。そのときに『考えても仕方ないことは考えない』という大らかさを身につけたのだと思います」

結婚してから、人にお願いできる自分に驚いた

一方の恵子さんは自活をしているものの故郷の家族のことが常に頭から離れず、すべてを自分がやらなくていけないという意識に押しつぶされかけていた。幸司さんと結婚して、「そっちは任せた!」とお願いできることに驚き続けている。

「旅行のときに荷物を見ていてくれるだけでもありがたいのですが、彼は計算や車の運転も得意です。うちの親戚の集まりがあっても、すぐに打ち解けて楽しく過ごしてくれます。すごく楽ですね。私は35年間、能力が高いわけでもないのに何でも1人でやろうと思っていっぱいいっぱいになっていたことがわかりました」

危篤状態だった母親の意識は無事に回復し、最後の1年間は実家で過ごすことができた。元気だった頃はあれほどぶつかり合っていた父親は、人が変わったように大人しく優しくなり、下の世話まですべてを自分で介護していたという。

共依存関係にある男女の典型的な末路とも言えるが、かつては激しく愛し合っていた父親から献身的な介護を受けて、母親は幸せだったのかもしれない。恵子さんの結婚式を見届けて、母親は他界した。63歳。死因は多臓器不全だった。

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