大阪駅から歩いても行けるところに天満という街がある。由緒ある大阪天満宮の門前町として発展してきた経緯があるようだ。昭和生まれの筆者としては新旧の個人商店と住宅地が入り混じるこの活気ある街に、懐かしさや親しみを覚える。東京にいた頃に長く住んでいた中央線沿線に通じるものを感じるのだ。
同じく昭和生まれの晩婚さんと会うのにも適した街だと思う。大阪在住の藤木康子さん(仮名、46歳)にはカジュアルな雰囲気の居酒屋でインタビューすることにした。
ライダースジャケットで身を包んだ康子さんは体育会風の堂々たる風貌だが、人のよさそうな笑みを浮かべているので威圧感はない。本連載の出演申し込みフォームを通じて連絡をくれた康子さん。プロフィール欄には30代半ばまでは生き抜くことに必死だったことが淡々と書かれてあった。
<私は実家との折り合いが悪く、子どもの頃から家出願望あり。結婚したい、子どもがほしいとなどと考えたことはない。仕事と「自分の居場所確保」で精一杯で、29歳までは恋愛経験もなし。1人で生きていくつもりで34歳で中古マンションを購入した>
現代のシンデレラストーリー
そんな康子さんが42歳のときに「出会い系サイト」で知り合ったバツイチ男性と交際し、熱烈にプロポーズされ、44歳で初婚したという。現在に至るまで結婚生活は「まあまあうまくいっている」。康子さんは控えめに語るが、現代のシンデレラストーリーだと筆者は思う。一緒にウーロン茶を飲みながら、苦しかった生い立ちの話からを聞くことにした。
「母は実家から逃げ出したくて無理に結婚したようです。そのためか両親の仲が悪くて、障害のある弟の世話をするときだけ協力するような夫婦でした。私が弟と遊ぼうとしても『お前は関係ない。口出しをするな』とのけ者に。弟のためにおカネがかかるので、私に出す学費はないとも言われました。高校の部活すら反対され、『女が大学に行くと頭が高くなる』とも言われ、奨学金をもらって専門学校に入るしか道はなかったんです」
康子さんには忘れられない出来事がある。自由に笑うこともできない家庭環境に疲れて胃潰瘍になって苦しんだとき、両親から「しんどそうな顔をするな」と叱られたことだ。つらいときに一番甘えさせてほしい存在から否定される。想像を絶するストレスだと思う。
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