こうした企業の冷淡さの背景にあるのは、自分たちのサイトやソーシャルメディアを通じたコミュニケーションを重視し、いわゆるマスメディアを通じたPRの重要性が相対的に低下していることだ、とパールスタイン氏は分析する。
事実、アメリカ企業のPRにおけるメディアリレーションズの比重は下がり、ステークホルダーと直接、関係性を構築できるソーシャルメディアやブログ、自社サイトなどに大きくシフトしている。
メディアへの信頼性が低下
トランプ大統領が多くのメディアを「フェイクニュース」と呼び、貶める中で、メディアへの信頼性も低下しており、企業や政治家などの命運に「マスメディア」が大きな影響力を握っていた時代とは流れが変わってきているといえるだろう。
こうしたグローバルの現状と比較すれば、日本の経済メディアは、企業との「もたれあい」のような関係性があり、日本企業のマスメディアへの信頼性、メディアリレーションズ重視の姿勢は顕著だ。
しかし、ことあるごとに「マスゴミ」「偏向報道」などと揶揄する声は大きくなっており、メディアの取材手法や報道内容に対するネガティブ論調が盛り上がりやすくなっている。情報チャンネルや価値観の多様化とともに、デファクトスタンダードとして見られていた「マスメディアの正義」に疑義を唱える層が拡大している
こうした文脈の中で、今回の新潮社の対応を考えると、最終的には「炎上商法」の過ちを認め、「休刊」という形をとったのは、「良心に背く出版は、殺されてもせぬ事」という「マスメディア的な正義」を貫く矜持を見せたということなのだろう。とはいえ、ことの経緯などについての十分な説明のないままに、手下を「切腹」させるような手法には違和感しか残らない。
世論の二極化・多極化が進むポスト真実時代に、自らを声高に「正義」と吹聴し、ハレーションを起こすやからが、跋扈(ばっこ)する。その主張をマスメディアがたたけばたたくほど、さらに注目を集めるという循環が繰り返される。「炎上上等」。そう割り切る者に対して、対抗するすべはなかなかないということなのだ。
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