陰で「いじめ」をするのではなく正々堂々と「ケンカ」をする。そのほうが、むしろ健康的な気もします。でも、日本の学校文化ではケンカよりもいじめが一般的ですから、子どもたちが違いに戸惑ったのもわからないではありません。
そんな学校生活に変化が訪れたのは、高校の頃でした。朋世さんは専門科に進んだのですが、普通科に通う1人の先輩と仲良くなったのを機に、バイク乗りの仲間に入れてもらったのです。色恋ざたになることもなく「ほったらかしで、そこにいさせてくれた」ので、朋世さんにとってそれは居心地のいい場所となったのでした。
家庭内は相変わらずの状況でしたが、高校に入ってバイトをするようになってからは父親に殴られることがだいぶ減り、「お金を稼ぐって、すばらしい」と感じたそう。さらにバイクを手に入れたことで、殴られそうな兆候を感じたときは、すぐ逃げられるようにもなりました。
家を出たのは、18歳のとき。バイトで貯金して自力で進学した大学は、お金が続かず中退せざるをえませんでしたが、「家を出てからが、自分の人生の始まりだった」と朋世さんは振り返ります。
本のなかでのほうが教育と愛情を受けた
気の合う仲間たちと出会うまでのつらい子ども時代を乗り切ってこられたのは、本のおかげ。朋世さんはそう断言します。父親も母親も読書家だったため、家にはつねに大量の本があったのです。なかでも大きな影響を受けたのは、母親の本棚でした。
「作家でいうと、吉本ばななや山田詠美、村上春樹は全部あったし、『鏡の中の少女』(摂食障害の少女の心のうちを描く本)のような、当時入ってきたローティーン向けの翻訳物もあった。そんなふうに、若い人に向けて本気で『あなたは間違っていない』って伝えるような小説が、幸い家の中にいっぱいあったんです。
そうした本を読むと『あ、うちはやっぱりおかしいし、どうやらそれは自分のせいではない』ということが、わかるじゃないですか。私はそれに救われたし、あれがなかったら、やばかったと思います」
親から虐待を受けている人は、しばしば「自分が悪いのではないか」と考えがちです。けれど朋世さんは母の本棚にあった本に自己を肯定され、無駄に自分を責めることをある程度回避できたのでしょう。
「家や学校よりも本のなかでのほうが、きちんと教育も受けたし、愛情も受けたと本気で思っている」と振り返ります。
朋世さんは現在、本音で話せる仲間たちがいる職場で働きつつ、信頼するパートナーと生活を共にしています。今は両親ともほぼ縁が切れ、日々平穏に過ごしているそう。
それにしても不思議なのは、それらの本の持ち主=母親のことです。
なぜ母親は、娘の朋世さんの心を救うような本をたくさん読んでいたにもかかわらず、朋世さんの心に寄り添えなかったのか? なぜ夫のもとにとどまり、自らも殴られつつ、朋世さんを守ろうとしなかったのか?
「もう煩わされることはほとんどなくなりましたが、家族について考えることは、ずっとなくならないですね」
家を出て20年以上経った今でも、朋世さんのなかで、疑問は残り続けています。
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