「おとなたちには、わからない。」シリーズ、今回は在日韓国人2世の父親と日本人の母親をもつ、鈴木朋世さん(仮名・40歳)のお話です。
待ち合わせ場所に現れたのは、どこか中性的で、さっぱりとした雰囲気の女性でした。さらりと身に着けた綿のシャツとジーンズがとてもよくなじんでいます。
朋世さんは自身のルーツを知りたいと願いつつ、しかし両親からは身体的、精神的な虐待を受けてきたため、確かめることがかないませんでした。これまで、親や大人たちに、どんな思いを抱いて生きてきたのでしょうか。
父親のルーツと、母親の謎の「人助け」
父方の祖母は、どうやら愛人だったらしい――。そう気づいたのは、朋世さんが小学生のとき。アルコール依存だった祖父が足を滑らせ、川に落ちて亡くなったのですが、そんな祖父の骨を「地元の墓に入れたい」という女性が韓国からやってきて、父方の親族と激しくもめたのです。
日本で生まれ育った朋世さんは、親戚たちの話す韓国語がほとんどわからないのですが、会話の端々から推測するに、祖父には韓国にもうひとり妻がおり、やってきた女性はその娘であるようでした。
朋世さん一家と父方の親戚は、日本のある街で集まって暮らしていましたが、そのなかで母親だけが日本人でした。そのためか、母親と、その子どもである朋世さんは「つねに浮いた存在」だったといいます。
他方、母方の親戚も父方の親戚をあまりよく思っておらず、朋世さんはどちらの一族の中にいても居心地が悪いと感じていました。
自らのルーツをもっと知りたい。そう思いながら、親に尋ねたことはありません。家のなかにはいつも父親の暴力があり、「聞いていい雰囲気ではなかった」からです。
「うちの父親は『自分は外国人なのに、こんなに稼いでいる』みたいなことを、子どもにまで言ってくる人でした。なのに私にはまったくお金を出してくれず、必要なものも土下座しないと買ってくれないし、土下座しないと殴られる。共働きでそれなりに収入はあったはずなのに、公立高校の月に1万円程度の学費にも土下座が必要だったので、自分でバイトをして払っていました。
夕飯のときは必ずビールをお酌しないといけないし、出掛けるときは『行ってらっしゃい』のチューをしないと殴られる。とにかく『従わせたい』、という感じでした」
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