私の歯を住宅用洗剤で磨かせた精神病の母へ 誰にも助けを求められなかった
私が12歳の時のことだった。バンクーバー郊外の自宅のバスルームで、「あんたの歯は黄色すぎる」と言う母から 漂白剤入りクレンザーの缶を押し付けられたのは。
またも親の不興を買ったことに絶望する一方で、私は過去の経験からどう切り抜ければいいかわかっていた。クレンザーの緑の粉を歯ブラシにまぶし、歯をみがく間、必死に飲み込まないようにしたのだ。
母は唯一の保護者で、生活上最重要人物だった
私は当局に通報することもしなければ、信頼できる大人に打ち明けたりもしなかった。学校の友達にも何も言わなかったし、泣きもしなかった。母の言うとおりで、私の歯は汚かったのかもしれない。そうでなければ、母の要求のひどさを上回るくらい、私は恥ずかしさを感じてしまったのだ。
母は唯一の保護者であり、私の生活における最重要人物だった。育ててもらっている以上、母の言いつけを守るしかなかった。それがどんなに無茶な命令であったとしても、母を失うことなど考えられなかったからだ。母が精神を患っているなど知る由もなかった。ただ、母が私をじっと見つめ、茶色の瞳が黒っぽく、容赦ないくらい激しくギラギラしているとき、目の前の私に不満を抱いていることはわかっていた。
母は私の腕の毛や、鼻や足の曲がり具合もひどく気にした。私の色の濃いまゆ毛も気に入らなかった。私は母がまゆを染めようとするのを止めもしなかった。まゆはオレンジ色になり、私はそれを笑い飛ばした。だがまゆが伸びてくると、私の心には不安が押し寄せてきた。キッチンの床に母の靴のかかとが当たる音がしただけで、私の心臓はバクバクした。
女優リンダ・ラブレースの自伝を読んだおかげで、ポルノ業界がどんなものかは頭で理解していたけれど、母のパラノイアや妄想に関する本は中学生には簡単には手に入らなかった。1970~1980年代の学校の保健の授業でも扱われることはなかった。