私の歯を住宅用洗剤で磨かせた精神病の母へ 誰にも助けを求められなかった
私は一人っ子ではなく、姉がいた。私が中学1年の時に母の虐待が原因で家を出たが、それまではひそひそ声で情報交換したりして、私と姉は固く結束していた。5歳半も年が離れていたのに、姉はデートに私を連れて行ってくれ、外の空気を吸わせてくれた。
姉と私は1度たりとも母の行動に医学的な理由があるかどうかじっくり論じたことはなかったし、「お母さんには本当におかしなところがあるけれど、それは私たちのせいじゃない」なんて話したこともなかった。私たちを救ってくれる知識は私たちの手の届かないところにあった。姉が家を出てから、私たちは3年間というものほとんど会うことはなかった。そして母は、姉が出て行ったことについて一言も語らなかった。
15の夜に家を飛び出した
その代わり、私は本に没頭したり、すべてにおいて1番になろうとすることで母の歓心を得ようとした。だが学校やスポーツでいい成績を上げても、ほとんど顧みられることはなかった。その代わり、失敗すると母の虐待が待っていた。
ティーンエージャーになってもっと自由になろうと試したこともあったが、母の反応はさらに容赦ないものとなった。15歳のある夜、あまりのことに私は家を飛び出し、1カ月ほど友人のところに滞在したのち、結婚したばかりの姉の寝室が1つしかないアパートに転がり込んだ。
大学の時に私は広場恐怖症を発症し、気分障害に苦しむようになった。1990年代に行われた大規模調査「逆境的児童期体験研究(ACES)」の結果に照らせば、それは無理もないことだった。
ACESにより、子ども時代に精神的外傷を負った成人が病気にかかる率は非常に高いことが判明している。研究チームは1万7000人を対象に、10の異なるカテゴリーの精神的外傷についてスコアをつけて分析。4つのカテゴリーでつらい体験をしているとアルコール依存症になるリスクが7倍になり、スコアが6点を超えると自殺を図る可能性が30倍になるという。