ママ友とも、市役所とも言葉が通じない!
エイミーさんは2011年9月、愛育病院で長男を産んだ。
「日本に来る前に、インターネットで英語が話せるドクターを探したら、愛育病院のとある先生に行きついたのです。愛育病院はエクスペンシブ? そう、確かに(笑)。でも、私にとっていちばん重要なことは安心して出産できる環境でした。愛育病院の先生の対応は親切でとてもすばらしかった。だから、迷わず愛育で産むことに決めたのです」
病院やドクターには大満足したが、その後は、多くの苦労が押し寄せた。
「日本は役所も英語対応していないから、届け出ひとつ出すにも一苦労。母親教室にも参加できませんでした。そして、3カ月検診で病院に行ったときは……地元のママたちになじめず……つらかったです。
ママ友達がなかなかできなかったのは、たぶん言語の問題。私が日本語を話せないからだと思う。今なら、ママたちの気持ちを理解することができますが、そのときは初めてママになるという状況下でとても孤独を感じましたね。初めて日本人のママに話かけられたときは本当に驚き、そしてうれしかったのを覚えています」
もちろん、エイミーさんには、日本に親戚もいない。職場も赴任してきたばかりだから、親しい友もいなかった。しかも、頼みのご主人は、朝6時に出て夜11時に帰る多忙なシェフであるため、育児のサポートができる時間は限られている。
さらにエイミーさんを悩ませたのが、待機児童問題だ。
「日本で保育園を見つけるのがこんなに難しいとは思わなかった。子どもが生まれてすぐに申し込んだのですが、2012年4月まで空きがないと言われてしまって。でも、私はどうしても、12年1月には職場復帰しなければならなかったのです」
職場復帰を急いだのにも、外国人だからこその理由があった。妊娠が発覚した当時、香港にいたエイミーさんは日本の出産や育児に関する制度について知る由もない。日本で働き始めて間もなかったエイミーさんは、育児休業給付を受けることができなかった。また、公的制度について市役所に相談をしようと試みたが、英語に対応しておらず、エイミーさんは会社の制度のみに頼らざるをえなかったのだ。
「休んだ5カ月は有給の産前産後休暇を使いましたが、それ以上休むと無給になってしまう。だから、復帰する以外に選択肢はありませんでした」
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