日本で奮闘!カナダ人母のサバイバル哲学 カナダ、イギリス、香港、そして日本へ

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カナダ、イギリス、香港、ドバイで働いた経験を持つ、チューリッヒ生命のマーケティング・コミュニケーション部担当課長、米川エイミーさんは、2011年6月、東日本大震災直後の日本に、妊娠中の体で転勤してきた。

多くの友達は、「クレイジーだ」と言ったそうだ。

それも、そのはず。当時の日本は放射能パニックさながら。子どものために、西日本あるいは海外移住した人も続出したのだから。

だがエイミーさんは、人の心配などどこ吹く風。

「どこに行ったって、何かは起きる」と意に介さなかった。

イギリス、香港、そして夫の母国・日本へ

エイミーさんが東京勤務を希望したのは、ひとえに愛するご主人のためだ。フランス料理のレストラン・シェフである日本人のご主人とは、「Hiragana Times(ひらがなタイムズ)」という外国人向け日本語学習のオンラインマガジンのペンパル募集を介して出会った。

エイミーさんが、イギリスのマン島で保険代理店のサポート業務の担当として働いていた頃だ。そのとき、ご主人はフランスのパリで料理修業中の身。お互い日本語と英語を教えてくれる相手を求めていた。

「すぐに意気投合して、パリで落ち合い、お付き合いを始めました」

その後、エイミーさんは香港オフィスの保険代理店管理業務のマネージャーに昇進。遠距離恋愛を続けていた2人は、2010年に結婚した。ご主人はいったん香港で勤務した後、日本に帰国。夫婦は東京と香港を行ったり来たりする“遠距離婚”を続けた。だが、10年にエイミーさんの妊娠がわかり、ついに日本移住を決意した。

ただでさえ初めての出産はナーバスになるのに、それも異国の地の初出産とは、どんな心境だったのか?

さらに、世界からしたら極めて異質とされる日本の労働環境で育児と仕事を両立させる中で、感じた難しさとは? 

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