俳句は人間を直視する文学

俳人・金子兜太氏①

かねこ・とうた 俳人。1919年生まれ。東京帝大経済学部卒、日本銀行に入行。戦後すぐに労働組合の中心メンバーになり管理職にならずに定年退職。在職中から現代俳句に取り組む。朝日俳壇選者を20年以上務めている。日本芸術院会員。2008年文化功労者。

私の俳句は前衛俳句と呼ばれた時期があります。私自身は「前衛」を自ら言ったことはありません。そんな意識もありません。自然を描写しているだけの俳句では飽き足らず、人間の生身の姿であるとか、社会の現実であるとかを積極的に詠みたい、表現したいと考えてきました。季語や儀礼的な表現を排して、人間と自然を自由に表現しようとするものです。

現実社会との兼ね合いで言えば、私が生まれ育った秩父にある武甲山という山をめぐって、最近、考えることがありました。それは俳句にも通じることです。

武甲山は石灰岩が豊富で、戦前からセメントの原料として採掘が盛んでした。戦後はどんどん削られて、山の姿そのものが大きく変わってしまいました。秩父の象徴とも言える存在ですから、姿形(すがたかたち)までを変えてしまうのはけしからんという地元の声もあって、セメント会社もかなり配慮しているようです。でも、無惨な姿は元には戻りません。その姿にいたたまれない思いに駆られる人も多いのです。私もそんな一人です。

エゴイズムを前提にして、どうするかを考える

ところがです。秩父の古い知り合いからこう言われました。「金子先生、あんたはそう言うけれど、武甲山をあれだけ崩してきたおかげで、秩父の人間は救われたんだ」と。確かに秩父というのはうんと貧しいところでね。私の子どものときがちょうど昭和の初め。昭和大恐慌のときの幼児体験もあるけど、それは悲惨なものでした。もし山にある資源を利用しなかったら、秩父はずっと貧しいままだったでしょう。知人に問われて私は考えを深めました。

つまりそこで必要になるのは工夫です。山の姿がまったく変わってしまうようなやり方をせず、環境や景観との調和ができないかを探る。それができなかったのが高度成長期の日本の公害です。人間が幸せになるためには、ほかを犠牲にしなければいけない。それは人間のエゴイズムです。だけどエゴイズムを少し抑制して、ほかの人や自然と一緒にやっていくことを考える。長い目で見るとそうした豊かさが本物ではないかと思うのです。

エゴイズムそのものを私は否定しません。人間のエネルギーの源というか本能でもある。そうしたものを否定しては人間の活力を失ってしまう。そのエゴイズムを前提にして、どうするかを考えるのが望ましいあり方です。今も心ある俳人たちは、人間のエゴや本能を見つめています。俳句は人間を直視する文学だと思いますね。

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