プロになるくらいの覚悟で 俳人・金子兜太氏⑤

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かねこ・とうた 俳人。1919年生まれ。東京帝大経済学部卒、日本銀行に入行。戦後すぐに労働組合の中心メンバーになり管理職にならずに定年退職。在職中から現代俳句に取り組む。朝日俳壇選者を20年以上務めている。日本芸術院会員。2008年文化功労者。

私は日銀に勤めながら、俳句を作ってきました。もっとも戦後すぐの組合活動で行内で危険分子の扱いとなり、出世や昇進といったことからは、まったく縁遠いところにいました。55歳で定年を迎えたときは金庫番でした。1日に何回か金庫の開け閉めをして、有価証券の出入りを扱うだけの仕事です。

 私は30代後半で俳句に専念することを決意しました。ですが日銀を辞めることは考えもしませんでした。何より私には養うべき妻子がある。言葉は悪いが「日銀を食い物にしてやろう」というくらいの気構えでした。その代わり私生活では俳句を優先して、作る量も以前より格段に増えました。

「あいつは勤めながら俳句をやって結構うまくやっている。すこしズルイじゃないか」。在職中もそんな声がありました。しかし、それは誤りです。そういったあいまいな姿勢では、何をやっても道は開けません。私が俳句の世界で曲がりなりにもやってこれたのは、「死んで生きる」ぐらいの覚悟でいたからです。今までの自分を葬って、これからを新たに生きる。立身出世への欲を断ち切って、俳句だけに専念する。私流の言葉では「俳句専念」です。そうした心構えでやってきたのです。

二兎を追う者は一兎をも得ず

ただし私の俳句専念は、俳句が先にあって、それにさらに精進しようとしたのではなく、自分の人生を確実にするために、それまでやってきた俳句で自身を鍛えようとしたものです。ですから俳句のために生きるといった気負った心情というよりは、内面のカタルシスというか浄化といった役割がありました。だから俳句でやっていこうと決めてからは、徹底して取り組みました。

定年で銀行を辞めたら、どこにも勤めず、食えるか食えないかわからないが、頑張って俳句で食っていこうという気持ちです。当然、銀行からは干されます。しかし、すでに私の心は揺るぎません。好きな俳句をやっているので、閑職も苦にならなかった。むしろ楽しくて仕方ない。行内の人間模様も、第三者の目で観察することができました。

ありきたりの表現ですが、「二兎を追う者は一兎をも得ず」といいます。やるからにはどちらかに踏ん切ることです。一つのことをやると決めたからには、それに徹することです。趣味を趣味で終わらせることなく、プロになるくらいやってみる。そうすれば必ず誰かが注目して、世に押し出してくれることもあるでしょう。それが勤め人としてはダメだった私からのアドバイスです。

週刊東洋経済編集部
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