俳句は老若男女を問わず誰もが親しんでおり、まさに国民文芸となっています。俳句人口は国内で1000万人とも言われますが、私の感触ではもっといますね。海外にも愛好者がいて、100万人以上が短い定型詩として“Haiku”を楽しんでいます。飲料会社の伊藤園俳句大賞の審査員を第1回から務めていますが、18回目の今年は160万句が集まった。こんなところにも俳句の隆盛を感じます。ちなみに今年の大臣大賞は100歳の男性の方でした。審査後に作者の年を知らされて、一同、びっくりです。
これだけ多くの人に支持されているというのは、俳句が一般性・庶民性と、文芸としての一流性・芸術性を兼ね備えているからでしょう。庶民性だけでは面白くないが、かといって芸術性だけでは一般の人はついてこない。詩として美しさを持ちつつ誰でも人間の感情や姿を描き出すことができる。それが俳句です。
内面を深めていけるかどうか
私は昭和53(1978)年から朝日カルチャーセンターで俳句を教えていますが、当時はカルチャーセンターなどはしょせんはお稽古ごとの世界で、愚にもつかないというのが大方の見方でした。ところが実際に教えに行ってみると、受講者のレベルの高さに驚かされました。それは想像以上でした。
このとき気づいたのは、女性の句のほうが男性のより圧倒的にいいことです。理由ははっきりしていて、女性のほうが感性に恵まれているというか、感覚が柔軟であることでしょう。女性は子育てをしていて命そのものと向き合っている。だから人間の本能やエネルギーといったことをよく知っている。女性のほうが上達も早いし、生活実感にあふれたいい句をつくります。
ですが男性がまるきりダメかというとそうでもない。しばらくすると女性を超える句をつくる人が出てくる。なぜそうなるかといえば、自分の人生経験をうまく内面で昇華して、自分なりの哲学をつくるところまでもっていくからです。カルチャーセンターに来る男性は、ほとんどが60歳以上で人生経験も豊かです。これまでの経験を、第二の人生の栄養にしようと考えている。そうした人は書き込む技術さえ会得すれば、深みのある句ができるようになる。
でも男と女、どちらがうまいとか下手とかいうことではありません。俳句は日常詩ですから感覚を大事にし、それから徐々に内面を深めていく。それができるかどうかです。そうやってできた句は、読み手の心も揺さぶるのです。
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