――『あるとき、(ぼくの師匠が)ボストンブラスのチューバ奏者から電話を受けた。彼が急病になってしまって、飛行機に乗り込んだ後にすごく気分が悪くなって、ドアが閉まる前に名乗り出て飛行機を降りてその足で病院に行くくらい大変だったらしい。かけつけた医者は、とても飛行機に乗って移動できる状態じゃないと判断した。
ボストンブラスはこれからコロラドに向かってバンドディレクターの大きな会合での大きな仕事をするところだったから、パニックになりながらチューバ奏者を確保しようとした。
師匠は日程的にできないから引き受けられなかったけれど、助手をやっていたぼくを推薦してくれて、それで行くことになった。
夜の21時半くらいに電話をもらって説明を受けて、翌朝5時半には空港でチェックインするような、急なことだったんだよ。
元のチューバ奏者はその後回復して、いまではミルウォーキー交響楽団の奏者になっているから万事順調。けれど、当時は復帰できずその年の春はぼくがボストンブラスで代奏を務めたんだ。
その夏に正式にオーディションがあって、ぼくが合格して、正式にメンバー入り。それ以来14年間在籍したよ』――。
チャンスはある日突然やってくる
実は、演奏家としての仕事はアメリカでも日本でも「誰かの代わりを急きょ務める」ということから始まったり、飛躍することがよくある。
どんな演奏家でも、初めて本格的に演奏の仕事を経験するまでは、プロとして「未経験」なのだ。それをいつ、誰が、どのように抜擢してくれるか。その日その時は往々にして突然やってくる。
多くの場合、やる本人は無我夢中だったり、「ラッキ〜♪」という純粋な気持ちであったり、あるいは「なんで自分が」と恐れおののいていたりする。
しかし、これも仕事をこなしてしばらくして、ようやく気がつくことだが、初めての仕事の機会は、そのチャンスを寛大にも与えてくれた誰かがあってのことなのだ。
その誰かは師匠や先輩であったりすることが多いが、そうやって仕事を任せてみよう、機会を与えてみようという人は任せた相手への興味や期待といったものを持っているのではないだろうか。
こうして演奏家は、親切で温かい誰かに後押しされて、行先のわからない音楽の仕事の世界へと足を踏み出していくのである。
ちなみにこのボストンブラスというグループは何度も来日しており、ヒッツ氏も日本に来たことがある。金管5重奏のコンサートはクラシック音楽の中では堅苦しさがとても少なく、曲目もジャズやポップスが含まれていてとても楽しめるものだ。
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