プロレスも格闘技も「猪木」に行きつくワケ タイガーマスクと呼ばれた男が残した功罪
田崎:まったくのゼロから技のメソッドを作り上げた佐山さんは天才だと思います。ただ、ぼくはあえて、本の中では「天才」という表現を使っていないんです。天才と書いてしまうと思考停止になる。なぜ彼が天才なのか因数分解しなければならないと思っていました。ただ、天才なのは間違いない。初期の修斗は、ルールで競技性をどう担保するのかを模索していました。そのためルールがしばしば変わり、選手たちは困惑した。青木さんは著書で〈格闘技における強さという定義も実に曖昧(あいまい)なものだと思っている。ルールが変われば強さの序列なんか簡単に変わってしまう〉と書いています。佐山さんも同じことをおっしゃっていました。だからルールは大事なんだと。
青木:その「ルールを変えたら強さは変わる」があるからこそ“最強”って言葉はうさんくさいですよ……。「最強」「絆」「仲間」とか、マジでうさんくさい……。
田崎:ポエムですよね。その意味で「最強」を名乗っていた、UWFインターナショナルも、今から考えればポエムの範疇になる。もちろん、体を鍛えて、グラップリングやキックの練習をしている彼らが弱いはずはない。しかし、「最強」かどうかはルールによって変わってくる。プロレスの押し出し方としては「最強」というキャッチフレーズは「あり」でしたが、格闘技の世界には持ち込んではならない。ヒクソン・グレイシーに潰されるのは必然でした。ところで、青木さんは佐山さんとの接点はありましたか?
青木:ニアミスです。中井さん、猪木さんの関係もありますし。実際、僕はパラエストラ(中井祐樹が経営するジム)に所属していたことにはなっていますが、中井さんの生徒というわけではありません。でも、とある期間そこにいたことにより、いろいろな意味で魑魅魍魎と絡まないで済みました。早い時期でプロレスに行くことがなく、魑魅魍魎の世界に行くことなく、純粋に格闘技を続けられるように守られたと思います。自分自身も最初はプロレスとかかわることがなかったことにより、格闘技を盛り上げたし、格闘技の力もつきました。
田崎:佐山さんとの距離はあったわけですね
青木:中井さんが佐山さんを押し出した側なので、僕が触れられる距離にはならなかったです。
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