プロレスも格闘技も「猪木」に行きつくワケ タイガーマスクと呼ばれた男が残した功罪

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田崎:ぼくたち物書きの世界でも、1世代前だと、販売のためのイベントに出るのもカッコ悪いという時代がありました。書いて作るのが自分たちの文士たる存在意義で、発売後に売るのは出版社の仕事でしょ、みたいな感じ。今、そんなのじゃ売れないし、食えないから僕もトークショーもやるし、頼まれればラジオにもテレビにも出ます。もちろんタレントになりたいわけではなく、いい作品を書くために、どうお金を回していくのかを考えているだけです。青木さんの本を読んでジャンルは違うけど同じことを考えているな、って思いましたよ。

格闘技は理想主義、プロレスは保守主義

青木:田崎さんの新刊を読んだ感想は、(格闘技界は)「スポーツマネジメントを勉強した人がいないから失敗する」「村社会があって失敗する」というものです。

田崎健太(たざき けんた)/ノンフィクション作家 1968年、京都市生まれ。早稲田大学法学部卒業後、小学館『週刊ポスト』編集部などを経てノンフィクション作家。 著書に『偶然完全 勝新太郎伝』『維新漂流 中田宏は何を見たのか』『ザ・キングファーザー』『球童 伊良部秀輝伝』(ミズノスポーツライター賞優秀賞)、『真説・長州力 1951-2015』『電通とFIFA サッカーに群がる男たち』『ドライチ ドラフト1位の肖像』など

田崎:青木さんは基本的には自分でセルフプロデュースというか、発言を積極的にして自分への関心を高め、ONEにも出るしプロレスにも出ています。さらに連載を持ち、書籍も出している。『空気を読んではいけない』の中で青木さんは〈「チャンピオンが食えない業界はおかしい」のではない。「チャンピオンなのに食えないファイターがおかしい」ということだ〉と書かれてましたね。この言葉はすごく重いと思いました。

青木:格闘技界って本当に理解しがたい村社会的な話もあり、PRIDEに参戦していた2007年ごろ、「もしも今でも修斗をやってたらバイトやっていたと思う」と言ったら、格闘関係者から「謝れ」と言われ、意味もわからず「すいません」と謝りました。修斗の人に対して失礼だ、という意味かもしれませんが、正論が通用しない社会でした。

田崎:少し前、パンクラス代表の酒井正和さんが、「チャンピオンクラスには1試合100万円ぐらい払って、格闘技だけで生活できるようにしたい」という主旨の発言をされてましたよね。すごく正直な言葉ではあるのですが、逆に言えば、現時点ではほとんどの選手が格闘技だけでは食べられないということです。

青木:格闘技界って、そういうことにどんどんなってしまったんでしょうね……。

田崎:佐山さんには「功罪」があると思っています。もちろん、「功」は今の総合格闘技の礎を作ったこと。「罪」は、理想を実現するために、“食べていく”ということに執着しなかったこと。それは佐山さんがタイガーマスクというプロレスラーだったことも原因でしょう。プロレスラーだった自分を否定するために、“興行的な世界”と意図的に距離を置いた。つまり、カネのにおいを消すことです。もともと佐山さんはカネに頓着しない人でした。さらに青木さんはもともとプロレスの色がついていないからズケズケと言えることを、佐山さんは色がついているから、より“白”にしないと存在価値がないと思っていたのかもしれません。

青木:乱暴に言うと完全に左翼の理想主義の学生運動みたいなものではないかと。お金がなくても、自分たちが正しいことをやっていれば正しい、ということです。理想を求めるのが格闘技とかアスリートです。その対極である“保守”がプロレスとか興行ですね。格闘技はそことの溝ができており、潤わないけど、思想だけは残っている状態です。僕は最初から格闘技でもプロレスでもどっちでもなく、自分がやりたいことがやれればいいと思ってこの世界に入りました。

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