プロレスも格闘技も「猪木」に行きつくワケ タイガーマスクと呼ばれた男が残した功罪
田崎:佐山さんはプロレスラーから格闘技の世界に行きました。青木さんは逆に格闘技からプロレスをやるようになりました。プロレスをやることに対し、格闘技界からの反発はありましたか?
青木:僕のプロレスに対する意識は違います。アントニオ猪木会長が言っていたことで、「プロレスも格闘技も一緒だ」という言葉があります。すごい乱暴な言葉ですが、どういうことかといえば、「目的はお客さんを喜ばせること」ということで、筋書きがあるかないかの違いでしかない、ということです。僕もこれには同感です。だからこそ、プロレスをやるってことに対し、葛藤はなかったですね。プロレスをやりたいとも思っていたし。
田崎:ここで猪木さんの名前が出るんですね!
青木:僕はIGF(イノキ・ゲノム・フェデレーション)にいたのですが、あそこのプロレスはアントニオ猪木が小川直也に求めたものをやっているようなプロレス。初期の小川さん(1999年、対橋本真也戦などの戦い)が猪木会長の最後の思想。まさに決まりがないプロレスというか、過激なプロレスってやつをやりたかったのでしょう。僕はあんまりそれはやりたくなかったですが……。
田崎:ぼくは『真説・佐山サトル』の中で、〈プロレスとボクシングなどの格闘技の“皮膜”を自らが行き来するこで、猪木は価値を高めた〉と書きました。青木さんもその皮膜を行き来できる人間のひとり。
青木:ぼくは格闘技とプロレスを合わせて、“ファイトスポーツ”と呼んでいます。日本の“ファイトスポーツ”を作ったのは力道山ではなく猪木です! そこをたどるとどこかで猪木さんに当たることは否定できないですよね……。言ってることもことわりが通っていますし……。
田崎:ただ、猪木さんの放漫経営によりクーデターが起きたり、日本の格闘技界、青木さんの言うところのファイトスポーツ界を混沌とさせたのは間違いない。それが面白みでもありますが。
青木:結局、どうしても新日本プロレスの「KING OF SPORTS」的思想を守り続けるのは難しかったのではないでしょうか。“強さ”で売っていたのに、総合格闘技がきたら開国せざるをえなかった。その時の長がたまたまアントニオ猪木だったという事情があります。
観客が知りたいのはアスリートの「生きざま」
田崎:僕は猪木さんってデタラメの大将だと思っているので、それが面白いと思っています。格闘技を取材し続けてきましたが、最終的にプロレスって面白いな、と思いました。1人、2人で体を使って何万人の人間を沸かせるってなかなかできないことです。強いだけでも、ルックスがいいだけでも人は引きつけられない。レスラーはそれを毎日やっているんですから。