共学に通う「トランスジェンダー学生」の現実 日本初のトランスウーマン教員が解き明かす
7月に、お茶の水女子大学がトランスウーマン(男性から女性へのトランスジェンダー)の学生受け入れを2020年度から始めると表明すると、マスコミ各社が一斉に報道し、Twitterなどでも多くの意見が交わされた。おそらく、大学当局が予想した以上の反応だっただろう(参照:「心は女性」の学生を女子大が受け入れる意味)。
日本の女子大学がトランスウーマンを受け入れることは画期的なことだし、トランスジェンダーにとっての「法の下の平等」という観点で間違いなく大きな前進だと思う。
また、今回のことでトランスジェンダーの学生に対する社会的関心が高まるのも、良いことだと思う。しかし、その一方で、長年この問題にかかわってきた者として、少し首を傾げたくなる部分もある。
共学ではどう受け入れられてきたか
今回のニュースは、女子大学という、性別によって入学資格を制限するという特異な大学でのことだ。だからこそ、多くの社会的関心を集めたわけだが、世の中の圧倒的多数の大学は男女共学であり、そこではすでにトランスジェンダーの学生が学んでいる。
多くのトランスジェンダーの受験生にとっては、共学の大学への進学こそが現実的選択肢だ。ところが、ほとんどのニュースは、共学の大学にトランスジェンダーの学生がいることについて言及しなかった。おそらく、一般の方たちも、共学の大学におけるトランスジェンダー学生の実際に、イメージが及ばないのではないだろうか。
そこで、共学においてトランスジェンダー学生は、どのように受け入れられているのか。そして、そこに至るまでには、どのような経緯や歴史があったのか、トランスウーマンであり大学教員である筆者が、見てきたこと考えてきたことを記してみたい。事の成り行きから、筆者自身のキャリアに則した書き方になることをお許し願いたい。
前の世紀、つまり1990年代までは、大学におけるトランスジェンダーはほとんど顕在化していなかった。筆者もそうだったが、内心はどうあれ、とりあえず戸籍上の性別のファッションで通学している人がほとんどだった。
ただ、まったくトランスジェンダーっぽい人がいなかったわけではない。当時、早稲田大学の学生で東京・六本木のニューハーフ・パブで働いていた人が、かなり女性的なファッションで大学に通っていたという話を聞いたことがある。大学という場、とりわけ、大規模な大学だと、学生がどんなファッションで通学しても(服さえ着ていれば)あまり気にしないものだ。単なる「変わった人」で済んでしまう。
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