現在も活動する「陰陽師」の知られざる正体 「結界」は日常生活にも存在している
このように昭島市周辺は、ある意味で京都と環境が酷似していたわけです。ならばここが、東の都として最適なのではないか、というのが当時の結論でした。
その後、幕末が近づくにつれ、国が転覆するほどの出来事が次々と起こりはじめます。そのころにはすでに、この場所の結界はほぼ構築されていました。準備は万端だったわけです。
とにかく一時期は、この計画は絶対的なものでした。一部では準備として実際に建物の建設が始まっていた場所もあったと聞いています。
計画が頓挫した理由は…
でも、計画は頓挫しました。
計画が頓挫したいちばんの理由は、状況が予想以上に大きく変わることを私たちが察知したからです。私たちは陰陽師ですから、人の未来を読む、先読みをすることが仕事です。
私たちの家系の陰陽師のなかに、幕末の薩長についていた人がいました。
未来を読むと、やがて江戸幕府は転覆する、と。
そうであれば、わざわざ新たな都を江戸の西につくる必要はない、となったのです。
ただ、天皇が江戸城に入ってしまうというのは、少し計算違いだったかもしれません。もともとあったものを再利用すればいいという話になったわけですが、でも、本来ならば人が使っていた場所に天皇が入るということはありえないのです。
もしも天皇が住むのであれば、それは新しい場所であるべきです。それが本来の姿なのですが、江戸城に入るということになってしまいました。
ということで、もしもほんのちょっとだけ歴史が変わっていたら、いまの東京の中心、都心は昭島市近辺になっていた可能性があったのです。
ちなみにこの結界は、大正時代に入ってから、次々と破壊されることになります。たとえば檜原村の浅間嶺、そして高尾山……。高尾山は修験者の修行の地、聖地であるわけです。修験者たちからの反発が強かったのも当然のことだったでしょう。
結界のポイントが破壊されたうえに遷都の計画も消え、現在はそのままになっています。
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