現在も活動する「陰陽師」の知られざる正体 「結界」は日常生活にも存在している
側室の5人の子供たちの子孫はやがて、私たち陰陽師五家――木の家系、火の家系、土の家系、金の家系、水の家系――の祖先となりました。これに晴明の正室の子孫である宗家(次男の吉昌の家系)を加えた六家が互いに協力しあい、今日まで影の陰陽師集団として晴明の呪術(じゅじゅつ)を継承してきたのです。
ちなみに陰陽師五家に冠せられた「木火土金水」というのは、世界を構成する5つの基本要素で「五行(ごぎょう)」といいます。陰陽師の術のベースとなる中国の五行思想からきているのですが、陰陽師五家はこの五行それぞれの特質に応じた術を分け与えられました。
私は陰陽師五家のなかの、「水の家系」の継承者とされている者です。第27代・水の陰陽師として安倍成道を名乗り、陰陽師として活動しています。ですから、「水」の術に通じた陰陽師の末裔、ということになります。
陰陽師は「国家公務員」だった
そもそも陰陽師の始まりは、奈良から平安時代にかけて。律令国家建設の一連の流れのなかで、陰陽寮といわれる陰陽道専門の役所が設けられました。
陰陽師とは、その陰陽寮に勤めた役人たちのことで、現在でいうなら「国家公務員」の扱いになります。
ひとことで陰陽寮といっても、内部にはふたつの柱がありました。
ひとつは、天文学や建設術、錬金術(これはいまでいう薬学になります)、さらには暦や占術、算術……まさに現在でいうところの総合大学のようなものです。国中から頭のいい人材を集めてエリートを育成しようという機関です。
そしてもうひとつが、それとは別に霊的な力で国を守れるような者、いわゆる超能力者を育てる機関です。呪いや結界、術など、おもに霊的な案件を扱っていました。
前者は歴史書にきちんと残ります。ですが後者は、なかなか残りにくい。それが安倍晴明が携わり、道を広げた分野なのです。
晴明は、陰陽寮のトップである陰陽頭(おんようのかみ)に就いていた賀茂家に弟子として入ります。入門した年齢は15~16歳だったといわれています。
当時、大人になるための儀式である元服(げんぷく)は、だいたい12~13歳くらいで済ますのが普通でしたが、このとき晴明はまだ元服をしていませんでした。非常に遅かったわけです。
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