鎌倉山の老舗会席「らい亭」復活劇の舞台裏 年間来客数が1万人以上も増加したワケ
来年創業50周年を迎えるそばと会席料理の老舗「らい亭(らいは「木雷」で1字)」は、鎌倉市西部の高級住宅地、鎌倉山の一角にある。国登録有形文化財の本館を中心に、東京ドームとほぼ同じ約5万平米の敷地が回遊式庭園の、地元では知らない人がいないほどの名店だ。
近年は活気がやや失われていた印象の同店だが、この2~3年はイベント等を積極的に行い、メディアに取り上げられる回数も増えている。客数も2016年の年間来客者数が2万3061人だったのに対して、2017年は3万3873人と1万人以上の増加が見られた。
現社長の長女で、2014年春から店の運営に携わる岩村もと子さんに、らい亭が急激に元気になった理由を中心に話をうかがった。
鉄道王の別荘だった
らい亭の敷地および建物は、昭和初期に鎌倉山の別荘地開発を手がけた菅原通済(つうさい)氏の父で鉄道王として知られる菅原恒覧(つねみ)氏の別荘だった。国登録有形文化財の本館は江戸時代の横浜市の豪農の屋敷を菅原氏が1929(昭和4)年に移転改築したもので、現在は、もともと風呂場などがあった1階をそば処、2階を会席料理用の個室エリアとして使用している。
また、本館から見渡すことができる四季折々の花が咲く広大な回遊式庭園内には、茶室「月庵」や国東半島および全国から蒐集(しゅうしゅう)したという仏像群など別荘時代の遺構が残されているほか、甘味処として営業している「露庵」などが点在する。
この土地・建物は1960年代に現社長の名義となり、その後1969年にらい亭の営業を開始。かつては敷地の西北端に別館である「山椒洞」もあったが2007年に閉店した。
山椒洞の閉店・取り壊しに際しては、当時、週刊誌の報道やウワサでさまざまなことが言われたが、「下水ポンプなどの設備に5000万円もの多額の投資が必要で維持が難しくなり、手放すことになりました。戦前の別荘建築で司法大臣などを歴任した岩田宙造が建て、一時期は女優の田中絹代さんが居住したなど歴史的に価値ある建物ということで、譲渡先の方が鎌倉市に移転先の確保と維持を要請しました。しかし、市も財政が厳しく維持できないとの回答から、やむなく取り壊すことになったそうです」(岩村さん)というのが真相だという。
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