鎌倉で大人気「江ノ電」かつては廃線の危機も 開業から115年で「沿線風景」は大きく変貌
今年9月1日、”江ノ電”の通称で親しまれている江ノ島電鉄が鉄道開業115周年を迎えた。同路線が、藤沢から片瀬(現・江ノ島)の営業運転を開始したのが、115年前の1902(明治35)年9月1日であり、当時、「小町」と称した鎌倉までの全線が開通したのは、その8年後の、1910(明治43)年11月4日のことになる。
江ノ電は、観光路線として全国的な人気があるだけでなく、115年という長い歴史を持つことから、湘南エリアにおける近代の歴史・文化の一端や、湘南の風景そのものを形づくってきたともいえる。本稿では、鎌倉に生まれ、昭和40年代後半に鎌倉高校に通い、現在も鎌倉市在住の一級建築士、三浦元さん(60)にご協力いただき、三浦さんが当時撮影した写真と思い出話をもとに、高度経済成長に伴って開発が進み、大きく変化した時代の江ノ電沿線風景を振り返ってみたいと思う。
最も変化したのは海沿いの風景
三浦さんが鎌倉高校に入学したのは1972(昭和47)年4月、卒業したのが1975(昭和50)年3月だ。この間、家があった材木座から和田塚駅まで歩き、鎌倉高校前駅まで江ノ電を利用して通学した。当時、父親が持っていたカメラ「ニコマート」を借りて、学校の休みや、ときには通学途上に江ノ電を撮影したという。
当時と今を比較し、江ノ電沿線で、最も大きく風景が変化したのはどの辺りかと尋ねると「稲村ヶ崎から七里ヶ浜あたりの海沿いを走るエリアの沿線風景ではないか」という。
たしかに1973(昭和48)年3月に、七里ヶ浜駅付近の「行合橋」のたもとから撮影した写真を見ると、建物はほとんど見られない。この時代、七里ヶ浜の住宅地の分譲はすでに始まっていたものの、現在の七里ガ浜高校の敷地には「七里ヶ浜ホテル」があり、その裏手には、「柴崎牧場」という牧場があって、牛がいたというから、ずいぶんと牧歌的な風景が広がっていたのだ。
ところで、七里ヶ浜駅と稲村ヶ崎駅の間の区間は、カーブの多い江ノ電にしては珍しく、長い直線が続き、電車のスピードも出る。この辺りを「ホテル下の直線」というそうだが、ここでいうホテルとは、今ある鎌倉プリンスホテルのことではなく、かつて存在した七里ヶ浜ホテルを指す。
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