鎌倉で大人気「江ノ電」かつては廃線の危機も

開業から115年で「沿線風景」は大きく変貌

また、駅移設が完了する1年前の1973(昭和48)年6月に、石上駅付近で、三浦さんが撮影した写真を見ると、石上駅~藤沢駅間の高架工事に関連する興味深い風景が写っている。

石上駅と藤沢駅の間で撮影。手前に線路が撤去された跡が見える(撮影:三浦元 昭和48年6月9日)

踏切を通過する電車の手前に、撤去した線路の跡が見えるが、これは、高架工事を進めるに当たり、西側の道路上に仮の線路を敷設し、従来の線路を撤去した跡なのだ。

この後、撤去した線路上に、デパート2階の新駅へ続く高架線を敷設し、最後に、仮の線路を撤去して工事完了となった。

ちなみに、高架を上る勾配の都合で、工事に際して、石上駅の位置を従来より80mほど江ノ島寄りに移設したという記録も残っている。

車両に関する思い出は?

三浦さんに、江ノ電の昔の車両に関する思い出も話してもらった。

「鎌倉駅には、現在はゴールデンウィークなどの混雑時にしか使われない5番ホームがあります。私が高校に通っていた頃は、2番線と呼ばれていましたが、だいたい、長野県の上田電鉄から来た800形が、このホームに留置してあったのを覚えています。この車両は時々しか出番がなかったようですが、たまに駅にいないなと思ったときには、使われていたのでしょうね」

この頃、鎌倉駅の2番線に留置されていた800形(撮影:三浦元 昭和48年3月27日)

この800形という車両が、江ノ電にやってきた理由は、当時の江ノ電を取り巻く時代背景と密接に関連する。

江ノ電前社長の深谷研二氏の著書『江ノ電10kmの奇跡』(東洋経済新報社)によれば、昭和30年代後半に、押し寄せるマイカーブームや、東京オリンピックに備えての周辺地域の道路整備が進み、バスの優位性が高まったことなどから、江ノ電の利用客が減少し、廃線の危機に陥った。具体的には、1963(昭和38)年4月には、「ついに社内で、江ノ電の廃線について具体的に検討」が始まったという。

しかし、「急激に増えた交通量により地域の道路で渋滞が問題化」したことが、江ノ電の存続にとって追い風となったという。つまり、時間通りに運行される江ノ電が、再評価されるようになったのだ。

長閑さも感じる保線風景。写真左に見えるのが、湘南道路の七里ガ浜料金所だ(撮影:三浦元 昭和48年3月27日)

やがて、昭和50年代になると、テレビの青春ドラマの影響などで、江ノ電ブームが訪れ、利用者が爆発的に増えるが、その過渡期というべき昭和40年代後半は、江ノ電の利用客が徐々に増加しはじめた時期と位置づけられる。

『私鉄統計年報』(運輸省鉄道監督局)の運輸成績によれば、昭和30年代後半、江ノ電の年間利用者数は1200万人台で推移していたが、1966(昭和41)年に1176万7000人と底になった。その後、昭和40年代中頃から徐々に増加に転じ、1972(昭和47)年に、初めて1300万人台を記録する。一時的に利用者数が減ったとはいえ、他のローカル鉄道と異なり、”瀕死”の状態にまで至らなかったのが、江ノ電が復活できた大きな理由だろう。

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