鎌倉で大人気「江ノ電」かつては廃線の危機も 開業から115年で「沿線風景」は大きく変貌
三浦さんが1973(昭和48)年に、”タンコロ”の愛称で親しまれた100形電車を撮影した写真の背景には、七里ヶ浜ホテルと、隣接する海水プールとをつなぐ歩道橋が写っている。当時、海水プールには、沖合からポンプで海水を引き込んでいたといい、プールの営業も七里ヶ浜ホテルが行っていたようだ。
この七里ヶ浜ホテルと海水プールに関しては、情報が少なく、謎が多い。1957(昭和32)年に開業したのは確かなようだが、いつまで営業していたのかなど、ネットで検索しても、確かな情報が出てこない。
西武鉄道が運営していたらしいことがわかったので、西武鉄道に問い合わせると、1972(昭和47)年7月の社内報に、「七里ヶ浜ホテルほかホテル運営を西武不動産へ業務移管」したという記載があることがわかったが、それ以上の情報は見つからなかった。三浦さんが撮影した1974(昭和49)年夏の写真を見ると、プールサイドに万国旗が飾られているのが確認できるから、この夏はおそらく営業していたのだろう。七里ガ浜高校の創立年などを考えれば、この頃に営業を止めたのだろうから、もしかすると、この夏が、最後の営業だったのかもしれない。
さらに、海岸国道が有料道路で、料金所のゲートがあったのも、七里ヶ浜付近の当時と今の風景が、大きく異なる点だ。料金所の位置は、稲村ヶ崎方面から走ってきた電車が七里ヶ浜駅に向かって陸側にカーブしはじめる、その付近にあったようだ。
最近、観光地に入る車に課金する制度「観光マイカー課金」の候補地として、京都とともに鎌倉が選ばれたことがニュースになった。同制度については、今のところ「制度化の時期は未定」ということだが、もしかすると将来的に、かつてのように、鎌倉への入場ゲートが復活する可能性もあるかもしれない。
藤沢地上駅の名残
このほか、昭和40年代後半に大きく変化した江ノ電沿線の風景といえば、1974(昭和49)年6月に、それまで、当時の国鉄藤沢駅に隣接して地上にあった江ノ電の藤沢駅を、新築した江ノ電百貨店(現在は、小田急百貨店)2階へ移動したことが思い浮かぶ。これに伴って、石上駅―藤沢駅間の線路高架化工事も行われた。
この一連の工事により、国鉄、小田急と江ノ電の乗り換えの利便性は失われたものの、それと引き替えに、現在、藤沢駅南口ロータリーとして整備されている空間が確保されたのだ。
実は、江ノ電藤沢駅が地上駅だった時代の名残をとどめるものが、現存するので見に行ってみよう。JR藤沢駅南口を出て、大船駅方面に50mほど行ったところに、東海道線の線路下を通り、北口方面に抜ける地下道がある。この地下道に向かって下りる扇状の階段の上に、かつて、江ノ電藤沢駅の駅舎があったという。つまり、この扇状の階段は、北口方面と江ノ電の藤沢駅、さらに国鉄、小田急の藤沢駅をつなぐ動線だったのだ。
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