現在も活動する「陰陽師」の知られざる正体 「結界」は日常生活にも存在している
もうひとつ、東京の巨大な結界をご紹介します。
東京の西部、八王子市にある高尾山、日野市にある金剛寺、檜原村の浅間嶺、さらに昭島市におよぶ大きな結界です。
この結界は何のために張られたのでしょう。
東京もしくは関東近辺にお住まいの方以外は、東京西部についてあまりよくご存じないのではないかと思います。多摩地区で最大のターミナル駅となった立川の西側一帯あたりですが、江戸時代末期のここは、本当に野山しかないような場所でした。
でも、私たち陰陽師にとっては、そのなにもない土地に意味があったのです。じつはこの土地、かつて天皇が住まう都を建設するという計画があったのです。
「都」を西東京に建設する動きがあった
これから書くことは、日本史の通説からすれば荒唐無稽なお話なので、信じられないという読者もいらっしゃるのではないかと思いますが、聞いて下さい。
京都もそうですが、都が置かれるための絶対条件として、地脈と龍脈の存在があります。このふたつがしっかりと大地を通っていなければ、当時、都は建設できないとされていました。
ここに結界が張られたのは江戸の末期、そろそろ幕府が傾きはじめた頃のことです。天皇を江戸に移し、都を現在の西東京に建設しようという動きがあったのです。
京都と比較すると、江戸城の風水というのはあまりよろしいものではありません。
土地の半分は高台にありますが、海も近いし、海に面した部分はかつての湿地帯を埋め立てたものです。天皇が住む場所としては決して勧められるような土地ではないのです。埋め立て地ということは、そこに地脈と龍脈は流れていないからです。
それよりもむしろ、こちら――つまり檜原村から昭島市にかけて――のほうが、風水的にははるかにすぐれています。また、多少東西南北の位置関係こそ外れますが、周囲を多摩の山地や狭山丘陵、多摩川に囲まれていることも、比較的京都に似た風水的地形だといえます。それに加えて西の背後には、日本を代表する霊山・富士山がそびえているのも好条件のひとつでした。
最近は立川断層の存在も知られていますが、それでも土地そのものがきわめて安定しているということも大きかったはずです。大地震などの災害に強いのです。
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