この春(2018年)に大学を卒業して就職した新入社員は、「フルゆとり世代」と呼ばれているそうです。
この言葉には、「小学校に入学したときからゆとり教育を受けてきたとんでもない世代」というニュアンスがあります。そもそも、ゆとり世代は、その言葉が登場したときから評判がよくありませんでした。曰く、ゆとり教育で学習内容を削減したので学力が低い、仕事よりプライベート優先、主体性がなく指示待ち、しかられると立ち直れない、現状に甘んじて向上心がない、などなど。
ところが、最近は、本田圭佑、高梨沙羅、羽生結弦、大谷翔平などのアスリートの活躍によって、ゆとり世代の評判に異論が出てきました。学校教育にゆとりがあったから好きな道に打ち込めた、物怖じせずに自分らしさを前面に出せる、これからのあるべき日本人の先駆け的存在、など。本当に、メディアも世間も手のひら返しがすごいです。
「○○世代は…」という安易なレッテル貼り
では、本当のところはどうなのでしょう? ゆとり世代はダメなのでしょうか? それともすばらしいのでしょうか? 私の考えを言わせてもらえば、そのどちらでもありません。というのも、そもそも「○○世代」とひとくくりにしてレッテルを貼ること自体が間違っているからです。もちろん、どの世代にもちょっとした特徴的なものはあるかもしれませんが、そんなものは微々たるもので、個人差のほうがはるかに大きいのです。
どの世代にも、主体的な人もいればそうでない人もいます。向上心がある人もいればそうでない人もいます。すべてにおいてそうですし、当たり前のことです。でも、「○○世代は……」というレッテルを貼ることで、その当たり前のことが忘れられてしまいます。これは実はとても危険なことなのです。
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