「千疋屋」が売上高を20年で5倍にできた理由 超高級路線から脱却し、スイーツなどを充実

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帰国後は輸入代行業を手掛ける会社を経て、1985年に千疋屋総本店へ入社。1998年に社長に就任する。

「社長就任後3年間は父の経営手法を踏襲したが、千疋屋ブランドと消費者ニーズにズレを感じた」。それは同時に、父の経営方針と今の時代感覚のズレを意味する。店舗も品揃えも価格設定も何もかもが合わないと感じていた。案の定、消費者アンケートを行うと「敷居が高い」「店舗や包装のビジュアルがレトロ」「手が届かない」といった声ばかり。かつて消費者は高級志向で、1万円の値札がついていても飛ぶように売れた。しかし、時代の変遷とともにいつしかニーズとかけ離れていたのだ。業績も下降の一途を辿っていた。

このままではダメだ!と確信した大島博社長は、従来の経営方針との訣別を決意する。千疋屋ブランドのイメージを再構築すべく「ブランド・リヴァイタル・プロジェクト」を立ち上げ、新たなスタートを切った。

スイーツやジャムなどの商品展開を拡充、売上5倍に

まず、千疋屋総本店のイメージアップを図るべく「ひとつ上の豊かさ」をコンセプトに千疋屋ブランドの大改革を行った。海外留学で学んだブランディングの重要性を掲げ、ロゴや包装紙、容器を時代に合ったものに一新した。

加工品に注力し顧客層が拡大(写真:千疋屋総本店)

それまでは高級フルーツを主力としていたため、高級志向の顧客に偏っており、中間層や若年層が少ないことが課題であった。アッパークラスに特化するのではなく、中間所得層にも手が届く価格帯の商品ラインナップを拡充した。フルーツを軸にケーキやスイーツ、ジャム、ゼリーなどの加工品に注力。手頃な価格で販売することで千疋屋の商品に馴染みがなかった客層へのアプローチを図った。

さらに「東京土産」としての需要をにらみ、東京駅や羽田空港に出店し、生ケーキや加工品の販売やインターネット販売を開始した。時代の変遷とともに日本人の味覚が変わり、糖度に加えてほどよい酸味、みずみずしさ、舌触り、コクにこだわるようになっていた。消費者のニーズに合うよう仕入れの選別基準に変化を加え、パーラーやレストランメニューの味を見直した。フルーツを使った加工品やケーキの品揃えや品質、味にこだわり何度も試行錯誤を繰り返し、新たな千疋屋の味を確立していった。人事制度や社員教育もテコ入れし、従業員の給料体系を年功制から能力給に切り替えた。

よくある話だが、世代交代に伴う苦労もあった。「当時は父が代表取締役会長に就任しプロジェクトに猛反対。父のもとで番頭としてやっていた古参の社員の風当りも強かった」という。商品構成は高級フルーツ主体から加工品のシェアを8割まで増やした。2018年3月期の売上高は約92億円を計上している。社長就任から20年弱で売上高は5倍に拡大した。

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