千疋屋ブランドを語るうえで欠かせないのが、明治期にのれん分けをした(株)京橋千疋屋(創業1881年)と(株)銀座千疋屋(同1894年)だ。それぞれ「千疋屋」の屋号は同じだが、資本関係はない。
大島博社長は千疋屋ブランドとしての質の向上を目的に、2008年から「千疋屋3社交流会」を開催し、小売りや製菓など各部門の責任者が集まり会議や試食会を行っている。運営母体は違うが「千疋屋」という日本を代表する老舗のブランドを持つ以上、品質の向上に余念がない。同じケーキでもフルーツの品種も違えば味も異なる。食べ比べることでお互いに商品開発や社内上の課題のヒントやアイデアを得られるメリットがあるという。3社ともに切磋琢磨しながら「千疋屋」の看板を守り続けている。
千疋屋が「別格」の秘密
フルーツには旬があり、天候や環境で味が変わる。生ものなので他の業種に比べて在庫のロスが出やすく、実は非常に新規参入が難しい業界だ。仕入れもこだわっており、特定の農家と直接契約をすることはあえてしない。「つねに生産者が良いものを作れるとは限らない。天候変動もあるので直接契約はリスクでしかない」。旬の上質なフルーツを探して仕入れているからこそ、価値がある。
千疋屋総本店の高級フルーツは市場に出回っているフルーツとは一線を画している。7種類のフルーツを盛り付けた「千疋屋スペシャルパフェ」や「フルーツジュース」、「マンゴーカレー」も秀逸だ。筆者の個人的な感想を言うと、フルーツ本来の味が濃厚で、一度味わうと他のものでは物足りなくなる。千疋屋のフルーツは“別格”だった。
今年で184年目を迎える千疋屋本店は1代約30年のサイクルで変革を遂げている。大島博社長の最大の功績は、敷居が高いイメージが浸透していた千疋屋ブランドを見直し、新しい顧客層の開拓に成功したことだろう。老舗であればあるほど、従来のやり方と決別し、新たな経営方針を打ち出す苦労は並大抵のものではない。事業を再構築したその勇気が新たな千疋屋の礎となった。
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