「いかにも離婚前、といった雰囲気ではなくて、けんかしているところも見たことがなかった。冷戦みたいな感じだったので、僕にとっては突然すぎました。だからまず混乱しましたね。一方の親が(家から)いなくなってしまうわけだし、今後の見通しも立たない。だから親を説得したり、親せきの人を巻き込んで話をしたり、いろいろしたんですけれど、でも小学生の力ではどうしようもなかった」
12歳(当時)にしてはすごい行動力です。しかし、離婚は止められず。忠孝さんの親権は、母親がもつことになりました。
当初の約束では、「最初の1年は父親が家を出て、母親と忠孝さんが一緒に暮らし、翌年は母親が家を出て、父親と忠孝さんがともに暮らす」ことになっていました。1年目、父親はすぐ近くに住んでいたのでしばらく会っていましたが、3、4カ月経った頃、忠孝さんと仲たがいしてしまいます。
「自分はピアノをやっていて、全国でも何度か入賞しています。けっこう本格的にやっているのですが、父親とはピアノに対する考え方や、学費のことでもめたり、なんだかんだあって会えなくなって。
そんななか、父親が、母親がもっていた僕の親権を自分(父親)に移す、親権変更の調停を起こしたんです。一般的にはこうした場合、面会交流の調停から始まるので、僕としては驚きました」
実際のところ、忠孝さんと父親がもめたというより、母親と父親の間で考えの相違があった、ということかもしれません。このとき忠孝さんは、調査官と話をしたり、調停委員に自分の考えを文章にまとめて送ったりしたそう。
「母親と暮らしていきたい、親権を母親に、みたいなことを伝えました。離婚直後、小学校の卒業式や中学校の入学式のときも、父親からは特に連絡もなかったんです。そうした状況でいきなり親権変更と言われても、それはちょっと……と。
今振り返ると、それで本当によかったのかな、というところはあります。当時は同居する母親の影響を強く受けていた気もしますし。
子どもの意思を尊重するのは大切だと思いますが、なにしろ小学生ですから。長期的な視野で見たり、客観的に判断したりする力を考えると、必ずしも子どもの意思を尊重して、親権や面会交流を決めることがいいとも限らないのかな、と思ったりもします」
調査官と話したのは1回だけ
とても難しい問題です。子どもの判断には、やはり不十分な部分があります。だからといって、「意思を尊重しなくていい」としてしまえば、今度は大人の都合だけで話が進められてしまう。できるかぎり、客観的な大人の目が必要なところでしょう。
「調査官の人には、父親をどう思っているかとか、母親との現在の暮らしがどうかなどを聞かれたと思います。でも調査官と話したのは1回だけですし、今の制度でどこまで子どもの本心、心情に迫れるものか? 疑問もあります」
この調停は結局、父親が取り下げて終わりました。以来5、6年ほど、父親とは連絡が途絶えているのだそう。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら