中学1年のときには、母親が現在の父親(継父)と再婚します。その後、継父の転勤で中1の途中からは東京の近辺で、高校からは新潟で暮らすことに。今では父親が単身赴任の状態ですが、当時は「また離婚になりかねない」という母親の不安から、一緒に暮らすことを選んだのでした。
「途中からの転校はつらいですね。高校に入るときは、みんな知らない者同士だからよかったけれど、中学の途中で転校したときはなかなか入りにくくて、けっこうきつかったです」
さらに、新潟に移って間もなく母親のがんが見つかります。治療の都合上、母親は急きょ、都内にマンションを借りて暮らすことに。忠孝さんは継父と新潟で暮らしつつ、週に1度は新幹線で東京に通う生活を送りました。
当時、継父は仕事で毎日帰りが遅く、土日も出勤していたため、忠孝さんは「ほぼひとり暮らしの状態」でした。「気楽だった」と言いますが、本当はもちろん、寂しさや不安もあったでしょう。
その後、忠孝さんは大学進学のことも考え再び上京しました。高2からは母親とともに暮らしており、新潟に残った継父が単身赴任の状態です。
「(公立)高校の転校は、ほとんど選べないんです。教育委員会が3校くらい選択肢を出してくれるのですが、転校前の学校より偏差値的にものすごく下がる。それでも東京都よりは今の県のほうが比較的ましだったので、ここに引っ越してきました。私立に転入するなら、そんなにレベルは下がらなかったと思いますが、大学で私立に行く可能性を考えると、経済的にそこまではかなわない状況でした」
忠孝さんはこの春、私立の難関大学に入学しています(取材は2017年7月)。どんな環境でも勉強する力がある忠孝さんだったからそれは可能でしたが、 いわゆる“ふつう”の人なら進学をあきらめる状況だったかもしれません。
進学費用をめぐる継父への遠慮
忠孝さんが離婚家庭の子どもの問題を考えるようになったのは、自身の経験もありますが、実子と会えなくなった継父の様子を間近に見てきた影響もあるようです。
「再婚した父(継父)は、前の奥さんとの間の子どもに会えていないんです。子どもが2歳のときから、ずっと。本当かどうかわかりませんが、再婚した父の元奥さんは、子どもに対して『お父さんはいない、だから会いに来られると混乱する』と言っているらしいんです。
さすがに『いないことにする』のはどうなのかな、と。その子は父親の記憶もないし、顔もわからない。それじゃ、会う・会わないの選択肢すら、子どもにはないわけじゃないですか。それが成立しちゃうのは、いかがなものかなとは思います」
継父は面会交流を求めて調停を起こしたものの、「相手にうまく取り下げる方向にもっていかれ」、子どもが10歳になる今も、会えていないのだそう。
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