「男は30歳から」でもどん底にいた男の過去 ULTRA JAPANの立役者、小橋賢児の生き様

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でもふと、思ったんです。それって本当に僕の幸せなんだろうかって。漠然と思っていた「男は30歳から」の年齢を前に、そんな自問自答を繰り返していました。

その当時は言語化できていなかったけど、シンプルに言えば、「お金と名声が欲しいがために、自分に嘘をついて生きている」状態だったんです。

(撮影:竹井俊晴)

まずは自分の環境を変えてみようと、同じ業界の人たちではなくクリエーターの先輩方と遊ぶようになりました。

彼らが自然を楽しみ、そこから作品を生み出していく過程を見ていたら、「僕だって俳優というクリエーターなのに、夕日や星空を見て感動することすらも忘れていたんだな」と、彼らとのギャップに大きなショックを受けたんです。

そして決定打となったのが、もっと知らない世界を見ようと、26歳でたまたま訪れたネパールです。現地の同世代の男の子と数日一緒に過ごしたら、彼の家族を守る強さや生きる力、なんというか、人間力みたいなものを感じて。一方の僕は、自分の立場を守るために、自分に嘘をついて生きている。そのギャップに辛くなってしまいました。

それで27歳で、芸能界の活動を停止しました。日本に帰ってからはいろいろなことが嘘のように感じてしまって、もう無理だと思った。決断なんてかっこいいことじゃなくて、苦しくて逃げたんです

人生のどん底から這い上がった30歳の誕生日

人生の再スタートだ、と意気込んだ先に待っていたのは、俳優だった過去が足を引っ張るという現実。「元俳優が仕事なんてまともにできるわけない」という、あからさまな空気がありました。社会人として認められていなかったんですね。

いろいろチャレンジはしてみたけど、結局何もできなくて、貯金も底をつき、仕事もない。家だって芸能人の頃には考えられないほど狭い四畳半以下の部屋に引っ越していました。気付けばうつ病のようになっていて、半分寝たきりのような状態。病院に行ったら肝臓も壊していたんですよ。

その時、あと3カ月で30歳でした。「男は30歳から」だって思っていたのに、まさかの人生で一番最悪な状態です。

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