27歳「発達障害」の彼女がついに得た居場所 転職繰り返し、同境遇の子に寄り添う道選ぶ

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退院後は、復職に向けて就労継続支援B型事業所に通い始めた。これは、障害者を対象にした就労支援で、A型とB型がある。A型は雇用契約を結んで給与が払われる。一方、B型は雇用契約を結ばずに、労働に対して1日数百円程度の賃金が支払われる制度だ。就労継続支援B型事業所は、まだ一般的な仕事を行うことが困難な人が通う場所であり、植野さんはB型事業所に通った。そこに通いながら、養成講座を受けると、ピアサポーターの認定が取れる。植野さんはその資格を取ろうと思っていた。

しかし、B型事業所での仕事がラベル貼りなどの単調な仕事で続かず、ピアサポーターの資格を取る前に突発的に辞めてしまった。植野さんは単純作業よりも人とかかわる仕事がしたかった。就労継続支援B型を辞めた後は、ドラッグストアの障害者雇用枠で働き始めた。

「そのドラッグストアでは、ADHDの特性のため私が苦手なことをスタッフに箇条書きで伝えてもらっていました。でも、そこの店長が配慮と区別の差がわからない人だったんです。店長は『私はほかの従業員と同じように接していますよ』と、本部の人や従業員に言っていましたが、明らかに対応が違いました」(植野さん)

発達障害の子ども向け施設へ転職

このドラッグストアを辞めたくて仕方なかった頃、月に1回面談をしてもらっているワーカーさんから、発達障害のシンポジウムが開催されることを教えてもらい、それに参加した。現在は、このシンポジウムを主催していた放課後等デイサービスでフルパートとして働いている。ここは、発達障害のある子どもが学校の後や長期休暇中に通い、療育支援をする施設だ。植野さんは、学校が終わった子を迎えに行って公園で遊んだり、室内で宿題を見たり、長期休暇中は少し遠くの公園や遊園地などにつきそう仕事をしている。

「今までは短いと4~5カ月しか続かなかった仕事が、ここではもう1年も続いています。私、子どもたちから『先生ってさ、おっちょこちょいだよね』って言われてしまうことがあります(笑)。子どもを見送るとき、ちゃんと送ったことを報告するために携帯を持ち歩かないといけないのですが、私はその携帯をすぐに忘れてしまいます。ある日、子どものほうから『先生、携帯持った?』と聞かれて『持ったよ!』と言ってカバンの中を見たら携帯が入っていなかったんです。『ほら、やっぱり!』って子どもから悪気なく言われました(笑)。

あと、私の特性でもあるのですが、数字にこだわりがあります。人の誕生日や車のナンバーはすぐに覚えられます。デイサービスの子どもにも数字にこだわりのある子がいます。施設に何台かある送迎車で『今日はどの車?』と聞かれた際、ナンバーを言うだけでどの車なのかがわかります。私と子どもとで会話が成立するのもおもしろいですね」(植野さん)

植野さんは終始穏やかにニコニコと話していたが、何度も転職を繰り返し、時には衝動的な行動やパニックを起こし、それを乗り越えてきた今だから、こうやって笑いながら話せるのだろう。また、植野さんの場合は母親との関係性を主とした家庭環境も大いに影響していたように感じられた。「生きづらさ」という大きな枠でとらえると、発達障害に限らず、みんなどこかに傷を負って生きているのかもしれない。

姫野 桂 フリーライター

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ひめの けい / Kei Himeno

1987年生まれ。宮崎市出身。日本女子大学文学部日本文学科卒。大学時代は出版社でアルバイトをしつつヴィジュアル系バンドの追っかけに明け暮れる。現在は週刊誌やWebなどで執筆中。専門は性、社会問題、生きづらさ。猫が好きすぎて愛玩動物飼養管理士2級を取得。趣味はサウナ。

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