27歳「発達障害」の彼女がついに得た居場所 転職繰り返し、同境遇の子に寄り添う道選ぶ

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夜尿症のほかに、ADHDらしき症状は小さいうちはあまり目立たなかった。しかし、中学の頃、いじめに遭う。当時、学年で嫌われていた女子と一緒に過ごしていたら、ほかの生徒からの無視が始まったのだ。また、当時流行していた学校裏サイト(その学校の生徒をネタにした内容が書き込まれるネット上の掲示板)にも、「キモい」「死ね」といった中傷を書き込まれた。

「今もですが、私はあまり性格が女の子っぽくないというか、仲の良い友達もどこか男っぽいところがある子たちなんです。当時も、男子のほうが話しやすいから男子とよくしゃべっていたら、『植野は男子と女子とではかかわり方が違う、男子に媚びているよね』みたいなことを直接言われてしまって。

矛盾しているのですが、女子特有の集団行動に対するあこがれはあったんです。だから、高校は県内で1~2位を争う進学校の女子校へ行きました。でも、やはりにぎやかな女子のグループには混ざれず、静かなタイプの子たちと一緒にいて、素の自分を出せないまま3年間過ごしました」(植野さん)

高校はギリギリのラインで受かったため、授業に全然ついていけなかった。とにかく大学受験のプレッシャーが大きく、いじめられていたわけではないが教室に入れない日が続き、保健室や自主学習できる教室へ通うこともあった。

「気分の波があることを、当時担任の先生に話したら、『私もそううつ病だから』と言われたことを、なぜかはっきりと覚えています。その言葉がどんなタイミングでどういう意味を持って言われたのかは覚えていないのですが、そのフレーズだけが忘れられないんです」(植野さん)

教育系の仕事に就くもののオーバーワークに

高校卒業後は地元の大学に進学。家族との折り合いが良くなかったため、地元大学ではあったが、一人暮らしを始め、飲食店でアルバイトも経験した。大学ではそこまで仲の良い友達はできなかったが、バイトにうまく適応でき、大学の友達よりもバイト先の人と遊ぶほうが楽しかった。バイト先では人が変わったようにアクティブになれた。

教育学部だったため、幼稚園の実習に行く予定が、ちょうどその頃から精神の状態が悪くなり、実習に行けなくなってしまった。精神科へ通院するようになったが、処方された抗うつ薬や(精神)安定剤は効いている気がせず捨ててしまい、通院自体もやめてしまった。

「どうしても教育系の仕事に就きたかったので、大学4年の秋頃に開催された最終の合同企業説明会で出合った家庭教師の会社を受け、無事正社員の内定をもらいました。そのときは、衝動的な勢いがあり、教育系の仕事ならばなんでもいいという気持ちが大きかったと思います」(植野さん)

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