センバツ「夏とは違う甲子園」を目指した96年 なぜ高校野球の大会が春夏に年2回あるのか

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そうしたもやもやが一気に噴出したのが、2010年3月22日の第82回選抜高校野球2日目第一試合、開星高校(島根県)と、21世紀枠で選ばれた向陽高校(和歌山県)の試合だった。

向陽高校は戦前、海草中学という名で夏の甲子園2連覇を果たした強豪だったが、1965年以来甲子園では勝ち星がなかった。戦前の予想は開星高校有利とされたが、ふたを開けてみると2-1で向陽の勝ちだった。

“21世紀枠の学校に負けたのは末代までの恥”

45年ぶりの向陽の甲子園の勝利にオールドファンは盛り上がったが、試合後の公式会見で開星高校の野々村直通監督は

甲子園で指揮を執っていた野々村監督(当時)(写真:野々村直通氏提供)

「21世紀枠の学校に負けたのは末代までの恥、腹を切りたい」

と発言したと報じられた。翌日には、開星高校の校長が向陽高校を訪れ、謝罪をする騒ぎとなった。高野連はこの発言を問題視し「事実確認をしたい」と述べた。

この稿を書くに当たり、今は教育評論家、画家になっている野々村直通氏に改めて話を聞いた。

「21世紀枠の学校と初戦に当たったことで、周囲からは”ラッキーだね””あまり点を取りすぎないように”などと言われました。でも、私自身は、向陽は決して侮れないと思っていました。私の予想通り向陽の藤田達也投手は冷静で素晴らしい投球をした。うちは、向陽の3安打を上回る6安打を打ちながら、攻略できなかった。

頑張ってきた生徒たちを勝たせてやれなかった。これは私の責任だ。試合後は、申し訳ないという思いで胸がいっぱいになっていました。甲子園では負けた高校の監督も4分間、NHKのインタビューを受けなければなりませんが、私は言葉が出なかった。アナウンサーにいろいろ聞かれましたが、最後に絞り出すようにして言った” 末代までの恥、腹を切りたい”が拾われて、大きなニュースになってしまったのです」

野々村氏は、すぐに謝罪したが、引責辞任せざるを得なくなった。

学校には非難の声が殺到した。しかし、この発言の直後から「野々村監督の発言は、いきすぎだが、その気持ちはわからないでもない」という声もあった。

野々村氏は、教え子や父兄などの復帰嘆願運動もあって、2011年4月に再度監督に就任。この年の夏の甲子園に出場したのを手土産に、翌年3月、定年退職した。学校側は定年延長を提示して引き留めたが、野々村氏には未練はなかった。

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