世田谷一家殺人事件、被害者の姉の「その後」 隣に住んでいた姉一家の人生も激変した
過熱したマスコミの、根も葉もない報道にも愕然とした。
「身も心も限界でした」
入江さん一家と母親が、逃げるように世田谷の地を離れたのは、事件から1か月後のことだ。
引きこもる母。自分を責め続ける日々
仮住まいのアパートに移ってからは、息をひそめるように暮らした。
「母は、あんな事件に巻き込まれて恥ずかしい。世間に顔向けができないと、引きこもってしまいました。私も、どん底でした」
夫は半年間、忙しい仕事を休み、家族を支えた。息子も、先生と相談し、事件の遺族であることを公表しないまま、学校に通い続けた。
「夫のやさしさや、息子の健気さが、ありがたかった。でも当時の私は、その思いに応えるどころか、死ぬことすら考えていたほどです」
なぜ、みきおさんが「両家が仲よく暮らすために、防音設備にしよう」と提案したとき、「そんなの水くさいよ」と断らなかったのか。防音でなければ、犯人の気配に気づき、助けられたかもしれないのに──。
自分を責め続けた。
「何より、悔いたのは、なぜ、もっと早く、引っ越さなかったのか、ということです」
事件現場の周囲が閑散としていたのは、公園用地のため、近隣の家がほとんど立ち退きをすませていたからだ。姉妹一家も、東京都に土地を売却し、入江さんにいたっては、新しい土地を購入していた。早い段階から、「一緒に引っ越そう」と、泰子さんに提案もしていた。
しかし、泰子さんは引っ越しを躊躇した。
「立ち退きの猶予期間が3年あるので、しばらく、このまま生活したい」
と。
それは、母親として、子どもを思ってのことだった。