世田谷一家殺人事件、被害者の姉の「その後」 隣に住んでいた姉一家の人生も激変した

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絆の深さは、唯一無二。

名門、国際基督教大学を卒業して間もなく結婚したのも、「やっちゃんの言葉が決め手でした」と言うほどだ。

「夫を自宅に初めて招いたとき、妹が“お姉ちゃま、わかってる? あの人、とってもいい人よ。あの人を逃したら、一生後悔するよ!”って、すごい勢いで。当時、末期がんを患う父を安心させたい気持ちと、仕事で自活したい気持ちがせめぎ合っていましたが、妹の言葉で迷いが吹っ切れました」

こうして、24歳のときに、大手自動車会社にエンジニアとして勤務する、8つ年上の夫・博行さんと結婚。父親にも、晴れ姿を見せることができた。

結婚から6年後には、待望の長男が誕生。同じころ、泰子さんも、会社員のみきおさんと結婚し、家族ぐるみの付き合いが始まった。

二世帯住宅に暮らす両家は、入江さん一家がイギリスから戻ってくるたび、大家族のように食卓を囲むのが常だった。写真は事件が起きる2年前の正月元日

そんな両家が、寄り添うように建つ二世帯住宅に引っ越したのは、1991年のことだ。

「妹と相談して、決めたんです。2つの家族が“支え合う仕組み”を作ろうって」

当時、夫の独立・起業にともない、入江さん一家はイギリスに生活の拠点を移すことになっていた。

「父に先立たれた母をひとり残すのが心配でしたが、母が私たちの家に暮らし、隣に妹夫婦が住んでくれたら安心だと。私たちも、日本と行き来するつもりだったので、妹たちと暮らせることを、楽しみにしていました」

宮澤家に、にいなちゃん、礼くんが生まれてからは、帰国のたび、両家8人の大家族が、にぎやかに食卓を囲んだ。泰子さんが学習塾を開く際は、入江さん一家のリビングを教室として提供。二世帯住宅は、当初の予定どおり、2つの家族が『支え合う』舞台となっていた。あの事件に巻き込まれるまでは──。

20世紀最後の日。悪夢の始まり

2000年、12月31日。事件発覚の日、入江さん一家と母親は、いつもと変わらぬ朝を迎えていた。

「帰国したばかりの夫が、和食が食べたいと言うので、鮭を焼いたのを覚えています」

この年の春、息子が私立中学に入学したため、8年間のイギリス生活をいったん終え、入江さんは息子と帰国していた。年末を迎え、単身赴任中の夫も帰国し、昨夜は2家族で夕食のテーブルを囲んだばかりだった。

「いつもと違ったのは、早起きの、にいなちゃんと礼くんが、なかなか起きてこなかったことです。大みそかで朝寝坊かな、と気にもとめませんでしたが」

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