34歳でプロ野球を去る男が面した挫折と復活 一度は「戦力外」も味わった八木智哉の半生

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答えは一つ、もう迷いはない(撮影:今井 康一)

そして、プロ野球選手のユニフォームを脱ぐのと同時に、これまでずっと続いていた名古屋での単身赴任生活が終わりを告げた。東日本担当スカウトのため拠点は関東となる。八木は、何よりも大切な妻と5人の子どもたちが待つ、我が家に戻ったのだ。

「単身赴任の頃も週に1回は帰っていたので、寂しいとかそういうのはなかったですけど、子どもの予定と時間が合わないことはありました。選手でいる間は、家族を第一にというのはなかなか難しい部分もあるので。でも今は息子とキャッチボールをしたり、試合も見に行けるようになりましたね」

振り返れば、八木のプロ野球人生は決して順風満帆ではなかった。「八木は、もう終わった」という周囲からの雑音が、幾度となく耳に届くこともあった。それでも八木は、その悔しさをバネに闘い続けてきた。そして、そんな八木を支え続けたのは、大好きな野球をやれる喜びだけでなく、愛する家族に自分の勇姿を見せたいという想いだったのかもしれない。

「自分もダメだと思ったら本当にもう這い上がれない」

「あいつ、終わったよなって。そういう話は、もちろん自分の耳にも入ってくるんですよ。でもそこでもう1回活躍したら、かっこいいじゃないですか。見とけよ、って。自分もダメだと思ったら、本当にもう這い上がれない。何を言われようが、自分を信じてやるだけです。もう無理と言われれば言われるほど、見返してやるぞってね」

愛する家族の存在が大きな支えとなった(写真:TBSテレビ)

そしてもうひとつ、スカウトとしての道を選択した決め手となった理由に、自分自身の価値観の変化があった。プロ野球の世界は、いつだってシビアだ。プロの世界で生き残るためには、どれだけ自分が結果を残せるか、球団にアピールできるかを避けて通ることはできない。

言い換えれば、他の選手を蹴落としてでも、自分がのし上らなければならないのだ。しかし、ベテランと呼ばれる域に入った八木は、「八木智哉投手」という野球選手としてだけではなく、「八木智哉」という一人の人間として、着実に成長を遂げていた。

「勝負の世界だから、甘い考えでは生きていけないんです。今思えば情けないですけど、若い頃はほかの選手に対して『怪我すればいいのに』と思ったこともありました。でも、中日に入った頃から、考えが変わったんです。自分が上がっていくことはもちろん大事だけど、若手が活躍していく姿を見るのも嬉しい。悩んでいる選手を助けてあげられれば、チームが浮上するきっかけにもなりますしね」

誰もが、自分の人生の主人公なのだ。それが一軍の選手であっても、そうでなくても。八木は、プロ野球選手としての人生だけでなく、八木という一人の人間としての人生を歩む意味を、理解していたのかもしれない。だからこそ、若手選手のサポート役を買って出たし、チャンスをつかんだ選手の活躍を願った。

「他の選手が一軍で活躍すれば、自分の出場機会は減るかもしれないし、立場は危うくなるかもしれない。でも、若手が活躍していかないとチームは勝てませんからね。おせっかいだったかもしれないけど、少しでもプラスになればいいなと思って。そんな気持ちでやっていました」

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