37歳「松坂世代」から見たプロ野球と松坂大輔 昭和55年会の切磋琢磨は僕を奮い立たせた

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楽天戦で日本復帰後初登板を果たした、ソフトバンクの松坂大輔投手=2017年10月2日、仙台市の楽天Koboスタジアム宮城(写真:共同通信)
華やかなプロ野球の世界。活躍した選手には名誉と莫大な報酬がもたらされる一方で、競争に敗れ、表舞台から去りゆく選手がいる。そんな「戦力外通告」を受けた選手をドキュメンタリーで描いてきたのが、TBSテレビの『プロ野球戦力外通告~クビを宣告された男たち』だ。
12月30日(土)夜10時~に通算14回目の放送を迎えるこのシリーズ。プロ野球選手の姿は特別な存在ではなく、不況の中では誰の身にも起こりうる“究極のリアル”でもある。放送を控え、番組にかかわるサイドストーリーを取材班が3回にわたってリポートする。今年の戦力外でひときわ目を引いたのが『松坂世代』の凋落だった。第1回は球界のスーパースター、松坂大輔と同時代を生きてきた、ある選手の松坂に対する想いを伝える。

12月21日、中日ドラゴンズはソフトバンクホークスを退団した松坂大輔の入団テストを来年1月下旬に行うと発表した。

その一報を知り、同じ昭和55年生まれの「松坂世代」で今季限りでの現役引退を表明していた長田秀一郎(37歳)は安堵したという。

「松坂がやれる、やりたいと思っているなら、力を発揮できる場所を見つけてほしい。僕はもう引退を決めたので、いちファン。僕ら野球ファンはまた松坂大輔が投げる姿を見たいです」

高校時代は同じ神奈川の鎌倉学園のエースとして横浜高校の松坂を強く感じながら成長し、慶応大を経て2002年ドラフト自由獲得枠で埼玉西武ライオンズに入団。松坂がボストン・レッドソックスに移籍するまでの4年間、今度はチームメイトとして刺激を受けた。

「やる前から負けを認めなくなかった」

「高校に入って、2年生になるころには松坂は知れ渡っていて、すごいというのはわかっていましたが、『勝てるんじゃないか』と思っていた時期もありました。まだ高校生なんで、やる前から負けを認めたくなかったんでしょうね」

にっこりと笑いながら謙虚に話すが、当時の長田も2年生の夏はチームをベスト4までけん引するなど県内有数のピッチャーとして知られていた。

「結局、対戦することはなかったんですが、1度は投げ合ってみたかったですね。でも、横浜(高校)は松坂だけじゃない。後藤武敏、小池正晃、小山良男というプロに行ったやつら以外もいい選手がたくさんいた。3年夏の県大会準決勝で横浜商大に25対0ですからね。最後のほうは強すぎでしたよ」

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