37歳「松坂世代」から見たプロ野球と松坂大輔 昭和55年会の切磋琢磨は僕を奮い立たせた
松坂とチームメイトということもあって、「松坂世代」について聞かれることも少なくなかったが、長田は過剰に意識しなかった。
「松坂世代と言われても、松坂は松坂という感じでした。別にそれに反発しているわけでもないんです。松坂というすごい男がいて、世代でトップに立てるなんて考えもなかったですし。それにプロに入ったときは先輩たちが本当にすごくて、正直、2、3年でクビになると思いましたし、この世界でどう生き残るかということに必死でした」
プロのレベルに面食らっている長田を踏みとどまらせてくれたのも同級生たちだった。
「先輩に負けたらしょうがないけど、同級生や年下の選手には勝てるようにと思うようになった。特にやっぱり同級生。バッターとの対戦もそうだし、ピッチャーも僕は中継ぎでしたけど、相手ピッチャーの出来がよければ負けないようにと自分を奮い立たせた。当時もホークスが強くて西武にとって勝たないといけない相手だったから、和田や杉内(俊哉)なんかにチームが負けると、いっそう悔しさを感じた。そういう意味でも活躍している同級生がたくさんいてよかった」
ルーキーイヤーでは46試合に登板し、2年目は34試合で防御率3.18と結果を残した長田。その後は苦しんだシーズンもあったが、力強いストレートを武器に2010年には勝ちパターンの一角としてチームに貢献した。
2013年途中にDeNAベイスターズに移籍してからもセットアッパーとして活躍。2015年は45試合で防御率2.06の好成績を残したものの、2016年は登板機会に恵まれず、オフに戦力外通告を受けた。
「36歳という年齢がネックに」
「36歳という年齢がネックになったところもあったんでしょうね。直接ではなく知人を介して海外も含めたいくつかのチームに売り込んだのですが、そこでも年齢の話になった。今オフ、巨人を戦力外になった村田修一も実力的にはまだ十分やれる。それでも、ここまで声がかからないのはやっぱり年齢で引っかかる部分があるのかなと思います」
選手としては年齢を気にして野球をやっているわけではないし、30代後半になったからといって急に力が衰えていると実感するわけでもない。だが、球団側は選手が思う以上に「年齢の壁」を高くしているというのが現実なのだ。そのギャップに苦しみながら、1つの決断を下した。
「2015年がよかったですし、まだ投げられる自信がありました。だから独立リーグでもう1年、勝負することを決めました」
NPB復帰を念頭に、2017年はBCリーグの新潟アルビレックスで投げ始めた長田。しかし、5月にはもう引退を考えていたという。