医師が断言「死に目に会えないことは不幸ではない」。最期の瞬間に立ち会うための延命治療は必要か? "旅立ち"のときに本当に大事なこととは

「肩の荷がおりた」姉妹のエピソード
高齢で寝たきりのお母さんを介護している姉妹は、介護は24時間の家政婦さんにお願いして、たんぽぽクリニックの在宅医療を受けていました。訪問診療を開始してからは、定期的に人生会議を行い、看取りが近づいても入院せず、自宅で自然にみると決めていたのです。
ある訪問診療の日に、主治医は患者さんに無呼吸が頻発していることに気づき「呼吸をしない時間が長引いているようです。呼吸が止まったときにどうされますか?」と伺いました。
「そのまま自然に看取る」という話になるだろうと思っていたのですが、「自分たちがいないときに亡くなるのはかわいそうだから、マウスツーマウスの人工呼吸をしてほしい」と、蘇生(そせい)を希望されたのです。
老衰で亡くなる状態で蘇生を試みることの意味や、患者さん本人はそれを望んでいるのだろうかといった話をしましたが、娘さんたちは納得されませんでした。ここまでは私以外の医師が担当していたのですが、この話を聞いて、私が伺ってお話をすることになりました。
自宅での自然な看取りを希望しているにもかかわらず、なぜ人工呼吸を希望されるのだろうと疑問に思いながら訪問診療に伺い「息を引き取る瞬間をみていなくてもいいんです。いちばん大切なのは、お母さんが楽に逝けることです。病院や施設でも、実は最期の瞬間はみていないことが多いんです」とお伝えしました。
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