医師が断言「死に目に会えないことは不幸ではない」。最期の瞬間に立ち会うための延命治療は必要か? "旅立ち"のときに本当に大事なこととは

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高齢女性
大切な人の最期に立ち会えなかったことを後悔している人もいるかもしれませんが、「最期の瞬間は必ずしもみていなくていい」と永井医師は信念を持って語ります(写真:Diziano / PIXTA)
人生の最期をどう迎えるかは、誰にとっても避けられない出来事であるのに、普段の生活では考える機会がほとんどありません。けれど全員が迎える死について、前もって考えておくこと、知っておいたほうがいいことはたくさんあります。
愛媛県松山市で、四国で初めての在宅医療専門の「たんぽぽクリニック」を開業した医師の永井康徳さんは、これまで3000人以上の人を看取ってきました。大切にしていることは、患者さんが「楽なように やりたいように 後悔しないように」。
いつか迎える最期に「みんなが幸せだった」と思えることを願う永井さんが、自身の看取り経験から感じた、いま伝えたいこととは(本記事は、永井さんの著書『後悔しないお別れのために33の大切なこと』より一部を抜粋、再編集したものです)。
【合わせて読む→】3000人を看取ってきた医師「断っていい延命治療もある」、最小限の医療で実現する"自然な看取り"。「決断」する日のために知っておきたいこと

「肩の荷がおりた」姉妹のエピソード

高齢で寝たきりのお母さんを介護している姉妹は、介護は24時間の家政婦さんにお願いして、たんぽぽクリニックの在宅医療を受けていました。訪問診療を開始してからは、定期的に人生会議を行い、看取りが近づいても入院せず、自宅で自然にみると決めていたのです。

ある訪問診療の日に、主治医は患者さんに無呼吸が頻発していることに気づき「呼吸をしない時間が長引いているようです。呼吸が止まったときにどうされますか?」と伺いました。

「そのまま自然に看取る」という話になるだろうと思っていたのですが、「自分たちがいないときに亡くなるのはかわいそうだから、マウスツーマウスの人工呼吸をしてほしい」と、蘇生(そせい)を希望されたのです。

老衰で亡くなる状態で蘇生を試みることの意味や、患者さん本人はそれを望んでいるのだろうかといった話をしましたが、娘さんたちは納得されませんでした。ここまでは私以外の医師が担当していたのですが、この話を聞いて、私が伺ってお話をすることになりました。

自宅での自然な看取りを希望しているにもかかわらず、なぜ人工呼吸を希望されるのだろうと疑問に思いながら訪問診療に伺い「息を引き取る瞬間をみていなくてもいいんです。いちばん大切なのは、お母さんが楽に逝けることです。病院や施設でも、実は最期の瞬間はみていないことが多いんです」とお伝えしました。

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