日本のサラリーマンが不幸だと感じる理由

純文学者・磯﨑憲一郎氏の好き嫌い(下)

「好き」を超えた使命感でポジティブを描く

楠木:磯﨑さんの小説は、小説という形式でないと味わえない楽しみですね。読み終えた後は、クラクラしますね。夢から醒めたみたいな読後感です。ただ、何だこりゃという人も多いでしょうね(笑)。やはり現役商社マンが書いた小説というと、たとえば、企業の内幕を書いたものなんかを期待されたりとか。でも、読んでみたら、ペイジの「ターラララ」だったなんて(笑)。

磯﨑:芥川賞を取った小説は予想外によく売れたのですが、主に買ってくれたのが、自分と同じような世代のサラリーマンなんです。でも、そういった人たちは、現代文学にそんなに触れていない人たちが多いでしょうから、ネット書店のコメントに星1つとか、「全く意味不明」なんて書かれたりしました(笑)。でも今の時代は、わからないことが悪という風潮が強いように感じますね。「要するに、何なのか」が常に求められている。正解がない中に居続ける余裕みたいなものなくなっているのかなと思いますね。

もちろん、答えが出せるものは、早く出せればいいでしょう。でも、本当に僕らが人生を費やして考え続けなくてはならないものは、答えのない問いです。考えても考えても結局答えは出ないんだけど、考え続けることでしか、近づけない何かなんでしょうね。

楠木:先ほどおっしゃった、先がどうなるかわからない、という不安と戦いながら執筆することが面白い、という境地に至るのは、心にゆとりがある人じゃないと無理という気がします。

一方で、小説家として名をあげたくて、いろんな小説を研究して作品を描いてきたような下積みがある人にも、これは難しいのではないでしょうか。仕事としての意識が先行して、あそこまで没入できない気がする。磯﨑さんは、サラリーマンとしての仕事をきちんとこなしているからこそ、小説のほうでは、思いっきり『ハートブレーカー』みたいなことができる、という面はあるように思います。

磯﨑:確かに、サラリーマンとしての仕事があるから、小説では振り切れるという側面はあると思います。ただ私は、「好き・嫌い対談」に即して言うと、徹底してポジティブなものが好きなのです。音楽のグルーヴを含めて、芸術が有しているある種の肯定性、ポジティブ感が好きで、自分でもそういうものを作品として残したいと思っていますし、むしろ、そうならないとダメなんだ、という一種の焦りが年を取るほど強くなっています。

楠木:好き嫌いを超えた使命感の領域ですね。でも、今のお話は、個人的にすごく理解できます。私は、磯﨑さんの作品の中では、『赤の他人の瓜二つ』が最も好きなんですが、ラストがとてつもないポジティブ感に包まれて終わるんです。

普通、ポジティブというと、また音楽のたとえで恐縮ですが、ポップなメジャーコードが鳴り響いて、明るさと楽しさが響き合うといった雰囲気が連想されると思いますが、磯﨑さんの『赤の他人の瓜二つ』では、ものすごい複雑なコードの連続で、一見、ポジティブなのかネガティブなのか、にわかには判別がつかないメロディーが延々と奏でられている。ラストのコードも普通のメジャーコードではないのですが、しかし、そうした複雑なコードで構成されたプロセスを経ないと、絶対に伝えることができないボジティブさが、ラストで見事に表現されていると感じました。

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